日本歴史地名大系 「秩父郡」の解説
秩父郡
ちちぶぐん
〔古代〕
慶雲五年(七〇八)一月、武蔵国秩父郡から和銅が献上され、朝廷はこれを慶して和銅と改元、武蔵国の当年の庸および当郡の調庸を免除した(続日本紀)。平城京出土木簡に「武蔵国秩父郡大贄一斗 天平十七年」と書かれた付札がある。とは豆に塩を混ぜた味噌のようなものである。「延喜式」の交易雑物に武蔵国から六石五斗を出す規定があるので、奈良時代から引続き納められていたことがわかる。「万葉集」巻二〇の防人歌に「助丁、秩父郡大伴部少歳」の作があり、奈良時代に大伴部の人々が郡内に居住していたことが知られる。知々夫国造は大伴氏の始祖高皇産霊尊に連なる始祖伝承をもっており、大伴氏の勢力が当郡に及んでいたとみられる。
平安時代には東国の諸牧から馬が朝廷に貢上され、毎年駒牽が行われるようになり、諸史料に秩父御馬の駒牽の記事が散見する。承平三年(九三三)
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報