日本歴史地名大系 「太秦市川村」の解説 太秦市川村うずまさいちかわむら 京都市:右京区太秦市川村[現在地名]右京区太秦〈海正寺(かいしようじ)町・椙(す)ヶ本(もと)町・朱雀(すじやく)町・藤(ふじ)ヶ森(もり)町〉付近村域は現市川神社近辺と思われるが、正確な範囲比定は困難。ただ他村に比べ村高が少なく、一村高台(こうだい)寺領で小村であったと思われ、太秦中里村内にあった可能性が強い。太秦広隆(こうりゆう)寺に近いこの地は貞観一五年(八七三)の頃成立の広隆寺資財帳(広隆寺文書)に「同条(五条)市川里弐拾町弐段佰拾玖歩」とあり、市川里の田が詳細に列挙される。この地に鎮座する市川神社は「三代実録」貞観一三年四月三日条に「山城国正六位上澄水神・市河神(中略)従五位下」とある古社で、この地の開拓の古さが知られる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報