奈河篤助(読み)ながわ・とくすけ

朝日日本歴史人物事典 「奈河篤助」の解説

奈河篤助(初代)

没年天保13.2.3(1842.3.14)
生年明和1(1764)
江戸後期,上方の歌舞伎狂言作者。前名奈河十九助。別号金亀堂。一時期は2代目奈河亀輔とも。もと和泉国(大阪府)の一向宗の僧侶還俗して初代奈河七五三助の門に入る。寛政7(1795)年京都四条南側芝居の立作者の地位を得て名を篤助と改めた。以降三都で活躍するが,後年は中芝居へ移った。3代目中村歌右衛門と提携し俳名を譲られて奈河一洗と名乗るが,不和となったのちは一泉と改めた。作風は筋の統一に無頓着で首尾一貫しないと評されたが,本読みの場で臨機応変に筋を変えてしまう才の持ち主でもあった。「狂言は役者にあり」と役者次第で作を成すべきことを述べたという。晩年は京都に茶店を営んだ。名跡は3代まである。

(上野典子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「奈河篤助」の解説

奈河篤助(初代) ながわ-とくすけ

1764-1842 江戸時代後期の歌舞伎作者。
明和元年生まれ。もと和泉(いずみ)(大阪府)の一向宗の僧。還俗(げんぞく)して大坂で初代奈河七五三助(しめすけ)に入門。寛政7年立作者(たてさくしゃ)となる。文化12年2代奈河亀輔を一時襲名。江戸,京坂で活躍した。天保(てんぽう)13年2月3日死去。79歳。前名は奈河十九助。俳名は一洗,一泉。号は一洗堂,金亀堂。作品に「傾城品評林(けいせいしなさだめ)」「東都(おえど)名物錦絵始(にしきえのはじまり)」など。

奈河篤助(2代) ながわ-とくすけ

金沢芝助(かなざわ-しばすけ)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の奈河篤助の言及

【奈河亀輔】より

…彼の多能ぶりは自作を直ちに読本浄瑠璃として刊行したり,歌舞伎講釈をみずから興行する面に現れているが,難波新地の料亭吉田屋に四季の趣向を盛った作庭をして人寄せしたり,舶来の珍品を蒐集して〈唐の開帳〉を興行するなど世俗の才にも富み,異才の感が強い。 なお2世は奈河篤助(1764‐1842)がついだ。【青木 繁】。…

※「奈河篤助」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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