朝日日本歴史人物事典 「奈河篤助」の解説
奈河篤助(初代)
生年:明和1(1764)
江戸後期,上方の歌舞伎狂言作者。前名奈河十九助。別号金亀堂。一時期は2代目奈河亀輔とも。もと和泉国(大阪府)の一向宗の僧侶で還俗して初代奈河七五三助の門に入る。寛政7(1795)年京都四条南側芝居の立作者の地位を得て名を篤助と改めた。以降三都で活躍するが,後年は中芝居へ移った。3代目中村歌右衛門と提携し俳名を譲られて奈河一洗と名乗るが,不和となったのちは一泉と改めた。作風は筋の統一に無頓着で首尾一貫しないと評されたが,本読みの場で臨機応変に筋を変えてしまう才の持ち主でもあった。「狂言は役者にあり」と役者次第で作を成すべきことを述べたという。晩年は京都に茶店を営んだ。名跡は3代まである。
(上野典子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報