東都(読み)トウト

精選版 日本国語大辞典の解説

とう‐と【東都】

〘名〙 東方のみやこ。特に、中国の漢・唐では洛陽、宋では汴京(べんけい)(=開封)をいい、日本では、京都に対して、その東にある江戸または東京をいう。
※本朝麗藻(1010か)下・賦飛州高使君赴任詩〈藤原伊周〉「東都春月秋風夜、四五年来分付誰」
※随筆・耳嚢(1784‐1814)六「東都に於て茶事の宗匠として門弟も多く」 〔班固‐西都賦〕

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世界大百科事典内の東都の言及

【宇文愷】より

…文帝のもとで新都大興(唐の長安の前身)の都市計画を主導し,渭水と黄河を結ぶ広済渠の開削,仁寿宮の建設を総督。煬帝(ようだい)のもとで東都(唐の洛陽の前身)の建設を主導し,将作大匠から工部尚書となった。また長城の修築,高句麗征伐の浮橋の架設,輿服の制定,漏刻(水時計)の設計も担当した。…

【河南[省]】より

…この後,本省は戦乱と北方遊牧民族の侵入によって荒廃したが,ついに北魏は華北を平定し,孝文帝のときにいたって洛陽に都を移した。 南北朝時代をへて隋が起こると,長安を国都として政治,軍事の中心にするとともに,洛陽にも大都市を建設して東都と称し,経済の中心とした。それは長安に比べて水路交通が発達し,物資の集散に便利だったからである。…

【洛陽】より

…しかし,この繁栄も北魏末の兵乱の結果,わずか40年ほどで完全に荒廃してしまう。 隋の統一後,2代煬帝(ようだい)は荒廃した北魏洛陽城の西15kmの地に大規模な新城を築き,天下の大商人数万戸を強制移住させ,西都大興城(唐の長安城)に対して東都とした(605)。次いで唐の則天武后期に外城が築かれ,都城としての形が整備された。…

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