出家者が再び俗家にかえること。罪を犯した出家者が俗にかえるのを還俗,みずから俗生活にかえる場合は帰俗と区別することもある。律令制下での僧尼は〈僧尼令〉により規制され,その違犯者の刑罰の一つに還俗がある。また朝廷の命で還俗することもあり,700年(文武4)8月に僧通徳,恵俊の学術を登用するため両者が勅により還俗させられ姓を賜っているのがその早い例である。二条河原落書に〈生頸還俗自由出家〉と見える。後醍醐天皇の皇子大塔宮は尊雲と称したが,還俗して護良と改称,天台座主義円は足利義満の子で,還俗して義教と改名した。明治の廃仏毀釈では数多くの還俗者がでて,それに関係する教務省布達が出されている。
執筆者:竹貫 元勝
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
出家した者がふたたび俗人に戻ること。帰俗(きぞく)ともいう。還俗には自発的なものと官命によるものとがある。『続日本紀(しょくにほんぎ)』文武(もんむ)天皇4年(700)8月の条に「僧通徳(つうどく)、恵俊(えしゅん)に勅して並に還俗せしむ(中略)其(そ)の芸を用ひんが為(ため)なり」とあり、これは僧の俗事能力が買われて官命により還俗させられた後者の例である。また「僧尼令」によれば、全27か条のうち、還俗規定および還俗のうえ律で処罰する規定がそれぞれ5か条ずつある。官命による還俗で著名なものは、1207年(建永2)2月の念仏弾圧を目的とした法然(ほうねん)(源空(げんくう))、親鸞(しんらん)らの流罪の一件である。このとき2人は僧名を剥奪(はくだつ)され、それぞれ藤井元彦(もとひこ)、藤井善信(よしざね)の名で流罪となった。
[船岡 誠]
復飾(ふくしょく)とも。出家した者が再び俗人に戻ること。自発的に僧の道をやめる帰俗(きぞく)と区別し,処罰として強制的に俗人に戻る場合に限っていうとの説もある。養老律令の僧尼令(そうにりょう)では吉凶を卜したり,巫術(ふじゅつ)で療病したり,別に道場をたてて衆を集めて教化するなど,僧尼の地位を利用して人心を惑わすことに対し,還俗のきびしい処罰を定めている。中世,法然・親鸞に俗名を与えて流罪としたのもこの種の処罰の還俗と考えられる。天台座主大塔宮尊雲法親王が還俗して護良(もりよし)親王となり,青蓮院(しょうれんいん)門跡義円(ぎえん)が足利義教となるのは,政治的背景による還俗である。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…そこで徭役や兵役を忌避する農民が争って僧になり,富民も税役を逃れるために子弟や奴婢を出家させた。国家にとって,僧が増えることは,それだけ生産者が少なくなり税収の減少をきたすことになるので,歴代王朝はたびたび僧の淘汰を試み,ことに唐の会昌廃仏(845)では,僧尼26万0500人を還俗させ農民に復帰させた(三武一宗の法難)。しかしこうした強硬策をとっても効果は薄く,その後も僧の志望者は減ることはなかった。…
※「還俗」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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