奥川(読み)おくがわ

日本歴史地名大系 「奥川」の解説

奥川
おくがわ

現西会津町西部の阿賀川以北、同川支流奥川の流域一帯を表す地名で、旧耶麻郡の西端部を占め、文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録では曲沢まがりざわ村・極入ごくにゆう村など一七ヵ村に奥川(郷)を表す「奥」の注記が付せられる。応永二七年(一四二〇)新宮しんぐう庄領主新宮盛俊は黒川くろかわ(現会津若松市)蘆名氏の軍勢によって居城高館たかだて(現喜多方市)を落された。「新宮雑葉記」同年七月二日条によると、盛俊は「高館ノ城落去奥川城ニ籠」ったが、「奥川ノ城落去シ」たため、越後五十公野いじみの(現新潟県新発田市)に逃れている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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