奴野城跡(読み)ぬのやじようあと

日本歴史地名大系 「奴野城跡」の解説

奴野城跡
ぬのやじようあと

[現在地名]津島市天王通り

「府志」に「奴野城、在津島米座、一作布屋(中略)今為寺、曰西方塁尚存」とある。米之座こめのざ布屋ぬのやを同一地異名のようにみているが、江戸時代はまったく別の町名である。布屋の西方さいほう寺は昭和二八年(一九五三)の区画整理で天王通りとなっている。付近一帯の地は小高く、北側のたから町筋の道路とは約一・五メートルの高低差がある。

「浪合記」は「良王君、此所に四、五日御滞留有て、尾州津嶋、大橋定省か奴野の城に入たまふ。永享七年十二月廿九日に良王君尾州津嶋に入御(中略)奴野ノ城、大橋三河守定高、正慶元年始て築く。其前は城なし」と伝えている。「大橋系図」(津島市立図書館蔵)によると、定省は定高の曾孫にあたり、大永四年(一五二四)夏、定省の曾孫定広のとき勝幡しよばた(現海部郡佐織町)の織田信定(信貞)と戦って敗走した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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