妙見寺村(読み)みようけんじむら

日本歴史地名大系 「妙見寺村」の解説

妙見寺村
みようけんじむら

[現在地名]山形市妙見寺・中江(なかえ)・東志戸田(ひがししとだ)・北志戸田(きたしとだ)・あさひ町(あさひまち)・東山形(ひがしやまがた)一―二丁目・松波(まつなみ)一―五丁目・小白川町(こじらかわまち)五丁目

小白川村の東に位置し、馬見(まみ)ヶ崎(さき)川扇状地の扇頂部に立地。笹谷(ささや)街道に沿う街村。初め山原(やまはら)村と称したが、村内に妙見寺があり妙見寺の村とも称されるようになり、元和年間(一六一五―二四)妙見寺村と改めたという。しかし江戸時代を通じて山原村の称も併用された。縄文時代の妙見寺B遺跡・熊野前(くまのべ)遺跡がある。

元亀三年(一五七二)三月一七日の最上義光宛行状写(秋田藩家蔵文書)によると、「妙見寺之内仁千苅」と「妙見寺内畠一貫地」を荻生田弥五郎に与えている。義光は山形城と城下を拡張・再編した際、長柄衆・足軽衆・鉄砲衆・小人衆などの下級家臣を笹谷街道沿いの当村や小白川村・釈迦堂(しやかどう)村などに配置して、山形城下への出入口の備えとしたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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