日本歴史地名大系 「妙見寺村」の解説
妙見寺村
みようけんじむら
小白川村の東に位置し、
元亀三年(一五七二)三月一七日の最上義光宛行状写(秋田藩家蔵文書)によると、「妙見寺之内仁千苅」と「妙見寺内畠一貫地」を荻生田弥五郎に与えている。義光は山形城と城下を拡張・再編した際、長柄衆・足軽衆・鉄砲衆・小人衆などの下級家臣を笹谷街道沿いの当村や小白川村・
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
小白川村の東に位置し、
元亀三年(一五七二)三月一七日の最上義光宛行状写(秋田藩家蔵文書)によると、「妙見寺之内仁千苅」と「妙見寺内畠一貫地」を荻生田弥五郎に与えている。義光は山形城と城下を拡張・再編した際、長柄衆・足軽衆・鉄砲衆・小人衆などの下級家臣を笹谷街道沿いの当村や小白川村・
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