妙見寺(読み)みようけんじ

日本歴史地名大系 「妙見寺」の解説

妙見寺
みようけんじ

[現在地名]太子町春日 北堂

曹洞宗本尊十一面観音、山号天白山。もとは現在地より南東方の妙見山(天白山)西麓にあった。寺伝によると推古天皇六年蘇我馬子の創建で、かつては七堂伽藍を備えた真言宗の大寺であったという。「続日本紀」宝亀八年(七七七)九月一五日条に上野群馬郡の五〇戸、美作勝田かつた郡の五〇戸が妙見寺に施入された記事がみえるが、この妙見寺は当寺とされている。


妙見寺
みようけんじ

[現在地名]群馬町引間

引間ひきまの東端近く、字花園はなぞのにある。曹洞宗、三鈷山と号し、本尊は妙見菩薩。「続日本紀」宝亀八年(七七七)八月一五日条に「上野国群馬郡戸五十烟、美作国勝田郡五十烟捨妙見寺」とみえる妙見寺にあたるといわれる。明暦二年(一六五六)亮舜が中興。妙見菩薩は中世には武士の守護神として崇敬された。「源平闘諍録」「相馬日記」などによると、下総千葉氏が法華経ほつけきよう(現千葉県市川市)に守護神として勧請した妙見神は、もと上野国花園に鎮座していたという。慶安二年(一六四九)には先規により朱印高一八石五斗を寄せられた(「引間村明細帳」大山文書)


妙見寺
みようけんじ

[現在地名]春日井市内津町

内々うつつ神社の東に隣接。内津山と号し、天台宗山門派。本尊は妙見菩薩。嘉暦年間(一三二六―二九)密蔵院の開山慈妙の創建といわれ、以来二四〇年間余、内々神社別当を勤め当寺住職を兼ねたが、天正元年(一五七三)二五世実尊は別当を辞した。同三年堂宇を焼失したが、のち内々神社の社殿とともに再建された。「寛文覚書」には「野田村密蔵院末寺」と記されている。天明八年(一七八八)以後再び内々神社の別当を兼務、明治元年(一八六八)八月神仏分離の際、内々神社との関係を絶った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

事典・日本の観光資源 「妙見寺」の解説

妙見寺

(長野県上田市)
信州の古寺百選指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

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