子不知
こしらず
歌と青海の落水との間約三千五〇〇メートルの海崖。黒岩・駒返・犬戻などの難所がある。かつては貝藻の化石を挟在した俗に外波石とよぶ硯石を出した。「廻国雑記」に「宮崎を立て。さかい川。たもの木。かさはみ。砥なみ。黒岩などいふ所をうち過。駒がへりといへる所にて」とあり、文明一八年(一四八六)七月一五日越後国府に到着したことがみえる。駒返は木曾義仲が都へ攻め上る時、道が悪く駒を返したといい、また聖徳太子も廻国の時、ここから駒と馬子を都へ返したと伝える。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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