日本歴史地名大系 「西頸城郡」の解説
西頸城郡
にしくびきぐん
現在の西頸城郡は中央を
新潟県の最南西部にあり、西は富山県
天平勝宝四年(七五二)一〇月二五日の造東大寺司牒(正倉院文書)に頸城郡の名がある。正倉院銘文に「久疋郡」とあり、「旧事本紀」に久比岐国造が記される。「延喜式」神名帳に頸城郡一三座が記され、うち
〔原始・古代〕
姫川支流の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
現在の西頸城郡は中央を
新潟県の最南西部にあり、西は富山県
天平勝宝四年(七五二)一〇月二五日の造東大寺司牒(正倉院文書)に頸城郡の名がある。正倉院銘文に「久疋郡」とあり、「旧事本紀」に久比岐国造が記される。「延喜式」神名帳に頸城郡一三座が記され、うち
姫川支流の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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