宇佐美村(読み)うさみむら

日本歴史地名大系 「宇佐美村」の解説

宇佐美村
うさみむら

[現在地名]伊東市宇佐美

現伊東市の最北端に位置する。中世宇佐美庄(郷)の遺称地。北は下多賀しもたが村・網代あじろ(現熱海市)、南は湯川ゆかわ村。西は亀石かめいし峠を越えて浮橋うきはし(現大仁町)熱海から東海岸を経て下田に至る東浦ひがしうら(下田みち)が通る。小集落に分れ、「増訂豆州志稿」も一〇の分名をあげている。海岸沿いに留田とまた新宿しんしゆく(江戸末期以後城宿)八幡はちまん初津はづと連なり、内陸部(地元では入谷とよぶ)には嵯峨野さがの(江戸末期以後山田)桑原くわはら阿原田あわらだみね中里なかざと塩木道しよきみちの集落が点在。江戸時代当初から二人名主制で、村をほぼ二分し、北を留田分と称して杉山氏、南の初津分を荻野氏が世襲名主として担当するという体制が長く続いた。そのため留田村・初津村と書いた文書も散見する。初め幕府領、寛文三年(一六六三)相模小田原藩領、天明五年(一七八五)幕府領、その後一時一部が石見浜田藩領、文化八年(一八一一)に分郷して幕府領と旗本小笠原・水野・向井の三家領となったが(「韮山町史」・旧高旧領取調帳など)、地理的に区域を四分するという方法をとらず、名主は四名置くが、留田分と初津分で村内を処理する従来の体制は明治初期まで続いた。

貞享三年(一六八六)の宇佐美村差出帳控(杉山家文書)によると高九九四石余、永引など六九石余、残高九二五石余。反別は田方六九町四反余・畑方九町二反余・屋敷三町二反余、蜜柑木一二〇(永二貫一〇四文余)・同御免木九四(両名主・寺方・禰宜分)、紺屋瓶四(一瓶銀四匁)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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