出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
静岡県東端,伊豆半島北東岸の市。1937年熱海町が多賀村と合体して市制。57年網代(あじろ)町を編入して現在の熱海市となった。人口3万9611(2010)。市域の主要な集落は,熱海,伊豆山,泉(伊豆湯ヶ原),多賀,網代などからなり,網代は近世には伊豆の産物の積出港として,また大坂から江戸への廻船の重要な港として栄えた。東は相模灘に面し,北から南にかけては,かつての多賀(熱海)火山の火口壁をなす山々に囲まれ,現在の市街地はかつての火口付近と考えられる所に位置している。就業者2万8740人(1995)のうち卸小売業とサービス業など第3次産業人口が2万1397人,これに観光と結びついた製造業を加えると全体の約85%の就業者が何らかの形で観光業と結びついているという日本有数の観光保養都市で,1950年国際温泉文化都市に指定された。熱海温泉はかつては熱海七湯と呼ばれたが,現在は熱海,伊豆山,泉,南熱海(網代)の4温泉からなる。源泉数は335,湧出量毎分1万4000l。泉質は食塩泉で泉温35~100℃。古くからの湯治場であり,明治になると新興旅館が増え,政治家,文筆家,資産家が訪れ,また別荘地にもなったが,交通の便が悪いため,大部分が長期湯治客であった。1925年国鉄熱海線(現,JR東海道線の一部)が開通して観光客は急増し,34年の丹那トンネル開通によってそれまで御殿場経由であった東海道線のルートが変更されて熱海経由となり,関西方面からの客も増えた。55年に富士箱根伊豆国立公園に指定された。64年の新幹線開通などを背景に旅館が大型化・高層化され,73年には宿泊者が年間500万人を超えた。95年の旅館などへの宿泊者数は334万7327人。尾崎紅葉の《金色夜叉》にちなんだお宮の松,坪内逍遥の双柿(そうし)舎,錦ヶ浦,梅園,伊豆山神社などがあり,伝統工業としては樟(くすのき)細工が知られる。
執筆者:塩川 亮
《和名抄》には〈田方郡直見郷〉とみえるが,古代より走湯(はしりゆ),大湯の温泉湧出地として知られ,伊豆走湯山(そうとうさん)など,信仰の地ともされた。源頼朝との因縁も深く,1213年(建保1)北条泰時は,阿多美郷を走湯山に寄進した。江戸時代に入っても,徳川家康が伊豆山権現を保護し,1604年(慶長9)来湯するなど,信仰と湯治の地とされ,将軍家御用の汲湯が江戸へ運ばれた。熱海の名は海中に湧出して海を熱する間欠泉の大湯に由来する。大湯の湯は27軒の湯戸に湯株(引湯権)として分湯された。87年(貞享4)には家数143,内湯持27,水呑39,1837年(天保8)には家数263,人数1251であった。
執筆者:高橋 敏
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