宇出津山分村(読み)うしつやまぶんむら

日本歴史地名大系 「宇出津山分村」の解説

宇出津山分村
うしつやまぶんむら

[現在地名]能都町宇出津山分

宇出津町の北に位置し、宇出津湾南東部の半島状丘陵は遠島とおしま山とよばれる。「三州志」に垣内として棚木たなぎ梅木うめのき(梅ノ木)平体ひらたい源平げんでら漆原うるしはらがみえる。東部を内浦街道が通り、東の珠洲すず山中やまなか(現内浦町)に至る。明暦二年(一六五六)宇出津村から分村したというが(能登志徴)、承応三年(一六五四)の村御印に「宇出津村之内山分」とみえ高三八四石余、免三ツ五歩三厘(能登奥両郡収納帳)。寛文一〇年(一六七〇)の村御印の高四〇〇石、免四ツ六歩、小物成は山役一五〇匁、鳥役九匁(出来)・烏賊役二匁(出来)であった(三箇国高物成帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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