宇漢迷宇屈波宇(読み)うかめのうくはう

朝日日本歴史人物事典 「宇漢迷宇屈波宇」の解説

宇漢迷宇屈波宇

生年生没年不詳
8世紀後半の蝦夷の有力族長。陸奥国内に住んでいたとみられるが,神護景雲4(770)年8月に同族を率いて,政府の支配がおよばない蝦夷の地に逃げ帰った。朝廷使者を派遣して召喚しても来帰せず,「一,二の同族を率いて必ず城柵を侵す」と揚言したが,その後の去就は不明。この虚実を検問するために,陸奥国牡鹿郡(宮城県石巻市を中心とする一帯)の蝦夷の族長から立身した近衛中将道嶋嶋足が差し遣わされたが結果はわからない。しかし,宝亀5(774)年に海道(太平洋側)の蝦夷が桃生城(宮城県河北町長者森)を攻撃し,11年には伊治呰麻呂の乱が発生した。9世紀に同族とみられる宇漢迷隠賀,色男,何毛伊,毛志,阿多奈麿が入朝した。

(岩本次郎)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宇漢迷宇屈波宇」の解説

宇漢迷宇屈波宇 うかめの-うくはう

?-? 奈良時代,蝦夷(えみし)の首長
神護景雲(じんごけいうん)4年(770)同族をともなって蝦夷の支配する地ににげかえる。召喚に応じず,同族をひきいて城柵をおかすと公言したので,事実確認のため近衛中将の道嶋嶋足(みちしまの-しまたり)が現地に派遣された。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

黄砂

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android