7~10世紀に律令国家が、蝦夷(えみし)・隼人(はやと)などの夷狄(いてき)の地の支配、または唐・新羅(しらぎ)など諸蕃(しょばん)の侵略に対する防備のために設けた官衙。設置の目的と地域によって3種類に分類できる。(1)陸奥(むつ)・出羽・越後の3国の蝦夷の居住地への律令制支配の拡大とその支配のために設置した城柵。律令制支配の拡大は、城柵の設置とともに柵戸(さくこ)を強制的に移民し、彼らを公民として郷に編成し郡(辺郡(へんぐん))を設置することによって実現する。城柵には国司・鎮守府(ちんじゅふ)官人らの中央派遣官が城司(じょうし)として駐在し、軍団兵士・鎮兵などの軍隊が駐屯した。城司は辺郡の公民を郡司を通して支配し蝦夷の攻撃から保護し、一方蝦夷を帰服させて朝貢を課して支配し最終的には公民化をめざした。7世紀半ば~9世紀初めに城柵が南から北へ版図の拡大とともに設置され、10世紀まで存続。立地は平地あるいは丘陵地で、前者は平面形が正方形、後者は不整形になることが多い。施設としての特徴は、中央部に国府なみの政庁を設けること、外周を材木列塀、築垣(ついがき)、土塁などで囲むことであるが、前者は国司などの城司が駐在する国府の分身であること、後者は政情不安定な地域にあって軍隊が駐屯することと対応する。城内には実務官衙、工房、倉庫、軍隊の住居などもある。(2)8世紀に薩摩・大隅・日向の3国に隼人支配のために設けた柵。性格は(1)に準ずる。(3)唐・新羅の侵略に備えた逃げ込みのための山城(さんじょう)。7世紀後半に対馬・北九州・瀬戸内海沿岸・畿内地方に設置。663年(天智2)の百済(くだら)の役の以前に設けられた神籠石(こうごいし)型山城と、以後に亡命百済人の指導によって造られた朝鮮式山城の2種類がある。瀬戸内海沿岸・畿内の山城は8世紀初めまでに廃止されるが、大宰府(だざいふ)防衛のための北九州の大野城(おおのじょう)・鞠智城(きくちじょう)は9世紀まで存続。朝鮮式山城は標高200~400メートルの山に立地し、山頂を中心に1つないし複数の谷を城内に取り込み、外周に土塁を巡らし谷部には石塁・石垣を築き倉庫を設ける。
[今泉隆雄]
『今泉隆雄著「律令国家とエミシ」(『新版 古代の日本9』所収・1992・角川書店)』
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…日本古代の城柵。多賀柵(たがのさく)ともいう。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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