本家とその親族分家や奉公人分家,また直接分家だけでなく間接分家(分家の分家,すなわち孫分家とか又分家と呼ばれた家)をも含む組織集団。農山漁村社会でマキ,マケ,マツイ,カブウチ,イッケ,クルワなどとも呼ばれ,商人社会ではノーレンウチなどとも呼ばれた。社会学,民族学,民俗学,社会人類学によっては同族団(同族集団,同族団体,同族組織)と呼ばれ,国際学界でもdozokuの名でとおり,クランclanやシブsibとは区別されている。ここにいう分家は末家(マッケ)とも呼ばれ,分家,別家と並べて呼ぶときは一方が親族分家,他方が奉公人分家を指す(関西の都市の商家では必ず別家のほうが奉公人分家を指し,ムラではその逆の呼び方もある)。明治の民法上の〈分家〉は親族分家のみを指し,民法上の〈本家・分家〉関係は奉公人分家を〈分家〉とは認めず排除している。これは資本主義化政策への法律上の対応であり,武家の家制度,儒教風(中国風)の家観念を庶民(従来の百姓,町人)の家にまで及ぼそうとした明治以来の新たな家(=家族)制度の生んだ結果である。
家が農家,漁家また商家や職人の家の家業経営から離れた存在になっていくに従って,また本家経営の縮小弱体化にともなって,奉公人分家は創設されることが少なくなり,親族分家に対する本家の統制力も弱まり,同族を構成する家々の関係は少数の家々の対等に近い仲間集団となるにいたった。しかし,本来の形態では,本家は親族分家や奉公人分家を統率し従属させ,またそれら分家の生活は本家の経営に依存し,本家の庇護を受けて存立しえ,また同族の発展に貢献した。
同族とか同族的家連合とかいわれるこの種の集団の結合原理は,家々の間の〈系譜関係〉つまり〈家の出自〉(どの家を本家として存立する家なのかという,家の創設の由来,存立の基盤)を本・分家が相互に承認し,本・分家の縦の秩序に従った合力・共助を生産・消費の両面において行う多面的な生活組織である点に見いだされた。したがって地縁的関係を条件としてこのような生活組織は成立しえた。同族は単に政治的・経済的な共同だけでなく,同族諸家が本家の先祖を共同の先祖としてまつる宗教的共同の組織でもある。本家も分家も,家である限りは各家の創立の初代以来の先祖代々の霊を家の守護霊としてまつるが,分家の先祖のさらに先祖は本家の先祖にさかのぼり,本家の先祖は同族全体の先祖とされた。この際,分家初代よりさらにさかのぼる先祖は,奉公人分家にとっても分家初代家長の生家ではなく,その主家を本家として本家の先祖に求められ,〈家の出自〉の先祖はけっして血縁的先祖,つまり親族関係上の先祖を指すものではない。血縁的先祖と家の出自における先祖が一致するのは,ただ親族分家にとっての先祖の場合だけである。これは,血縁,非血縁の双方,つまり親族分家にも奉公人分家にも一貫する同族それ自体としての結合原理が,〈家の出自〉あるいは〈家々の間の系譜関係〉と呼ぶべきものであって,血縁的な系譜にあるのではないことをよく示している。
典型的な農家同族は,地主であり同時に親方でもある本家と,その小作(子作)であり子方である分家(血縁と非血縁=奉公人出身の分家)の関係にみられ,漁家では本家が網元(船本(ふなもと)とも呼ばれた),分家が網子(漁夫),そして,商家の場合には本家の経営する本店と,これからのれん分けされて出店(でみせ)を預かる店持(みせもち)分家(別家)や本家店や出店に通勤する番頭の通い分家(別家)の関係にみられた。
ムラでは有力な一同族が中心となって構成される小さな同族村落もあったが,普通は少数の有力な同族の連合する形の同族連合村落か,あるいは多数の小さな,そして対等的な同族仲間が連合する組的な村落であった。都市では大小の商家同族が,町内連合の枠と交差しながら分散混在しつつ各本家を中心にある程度の地域的まとまりを示して分布し,同業街では同業仲間の組が同族連合的な構造を示していた。
→親族 →分家 →本家
執筆者:中野 卓
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同族団の略称。「家(いえ)」制度のもとで、本家とこれにつながる分家の家々が、本家・分家の系譜関係を互いに認め合って構成している家連合による集団。分家には、明治の民法でも認めたような親族分家だけでなく、民法上では分家とは認められなかった奉公人分家(非親族分家)をも含むことがみられた。この点で、同族を親族集団の一種とみなすことには躊躇(ちゅうちょ)もされるが、多様な「養取」のみられる場合をも親族集団とみなす限りにおいては、奉公人分家を含みうるという特徴をもつ同族をも親族集団とよんでもよい。
家付き娘に他家系から婿取りして次代家長夫婦としたり分家初代としたり、住込み奉公人に嫁をとって別家(奉公人分家)としたりすることなどから、たとえ比較的多く男系の継承がみられるにしても、厳密には父系親族集団とはいいがたく、むしろ非単系親族集団の一種とみるほうがよい。本家・分家のそれぞれの間を結び付けているのは、その本家を母体として分家が創設されたこと、分家がその創立の由来をその本家にもつこと、すなわち「家の出自」である。これを家々の間の「系譜関係」とよぶ。分家も本家同様に、いったん家として成立すれば、可能な限り幾代にもわたり家は存続し、存続する限り、本家・分家はその系譜関係を維持しようとする。本家から直接分かれ出た分家だけでなく、分家からの分家もまた、その直接の本家たる分家だけでなく、本家の本家である総本家につながる系譜関係をもつ。前記のように親族分家だけでなく奉公人分家もあり、さらには「頼み本家」といって、有力家に依頼して本家となってもらい、その分家に加わる場合さえある。
権威と実力をもつ本家を頂点とし、その庇護(ひご)を受ける多様な分家の従属によってなる大小の同族という家連合体は、武家にも商家にも農家にもそれぞれの形でみられ、過去の日本社会の構造を特徴づけた。
[中野 卓]
『『日本家族制度と小作制度 上下』(中野卓他編『有賀喜左衞門著作集Ⅰ・Ⅱ』1966・未来社)』▽『喜多野清一著『家と同族の基礎理論』(1976・未来社)』▽『及川宏著『同族組織と村落生活』(1967・未来社)』▽『中野卓著『商家同族団の研究』上下(第2版・1978、1981・未来社)』
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…中部地方などでも相続人以外の男子や女子は壮年になっても独立の家の主人・主婦とはなりえず,オジ・オバと呼ばれて終生生家に残留することも見られた。これらの地方では条件が整えば分家して本家との間に本分家の系譜関係にもとづく同族を形成し,本家のいわゆる権威的統制の強い生活組織をつくり出す例がしばしば見られたが,これは家族における兄弟姉妹序列の原理が家々の関係へと拡大されたものにほかならなかった。とりわけこのような兄弟間の序列が厳しい社会では,やがて相続人となるべき長子とそのほかの子どもとでは養育の仕方に差があり,長子は将来の家の相続者として,自他ともにその意識をもち家族内の位置にもそれにふさわしいものがあった。…
…家族主義という言葉は,ある社会が家族を社会の構成単位として重視するだけでなく,家族の原則を家族外のさまざまな社会関係にもおしひろげて適用する傾向のある社会構造を示している事実を指したり,あるいは,そのような社会構造となることを理念とするイデオロギーを指したりする。 日本社会は現代に入るまで近世,近代を通じて家を重視し,また社会生活上,家なしには個人が生きていくことが困難なため,社会全体が家々の連合する構造を示し,親類のネットワークおよび同族,機能別の多様な組や講,地縁的な町内,ムラ,古代には氏(うじ)などの組織の組合せにより特徴づけられてきた。それらが家単位の連合であることを家族主義的事実とみなす学者も多いが,家と家族を同一視することは概念を混乱させ,理論をあいまい化する。…
…中国人にとっては,出生によって定まる姓こそが,その人間が本源的に何者であるかを規定している名であり,これを変えることは本来できないはずのことであり,ゆえあって変えるとすればそれははなはだしい屈辱であった。
[同族集団としての家]
日本語には〈家を継ぐ〉という言い方がある。もし〈いえ〉が生活を共にする人々の集りというだけのものであるとすれば,それを継ぐということは意味をなさない。…
…つまり,親類(日本語)とか親戚(中国語で宗族と姻戚)と呼ばれ,それを親族とも呼ぶこともあるが,術語としてはまぎらわしさを避けるため親類の語が適切である。親類は個人単位の親族関係により家長の家族相互が結びつけられている家と家の関係で,特定の任意の家のもつ家連合のネットワークであって,同族のうち親族分家とその本家の関係,および縁組関係を合わせ含む。ここでいう縁組関係は,姻戚だけでなく,養子女を家長の親族関係者として養取した家と,彼らの生家との関係をも含む。…
…また親類は盆行事などにおいて,墓地や位牌を相互に詣(まい)りあい,奄美地方のハロウジに典型的にみられるように祖先祭祀の機能も親類の重要な機能であった。 日本社会において親類は単独で存在してきた例も多かったが,祖先中心的親族組織である同族や門中と複合して存在してきた例も多くみられ,その複合形態は多様である。ある場合には親類のなかに同族が包含され,親類の枠を超えるほど同族の発達をみないものもあれば,親類の枠を超えて同族が発展,存続している例もある。…
…《爾雅(じが)》釈親に〈父の党を宗族となす〉というように,中国において,女系を排除した共同祖先から分かれる男系血続のすべてを〈宗族〉といい,〈同族〉〈族党〉〈族人〉などの語も同義である。宗族と〈親族属〉とは違う。…
…鎌倉時代の領主たちの中では,全体として女性に大きな権利が認められ,姻戚が重んぜられるが,東国では家長,惣領が大きな力をもつのに対し,西国のほうが女系,姻戚を重視する傾向が強く,西国に広くみられる一時的訪婚(婿入婚)に対し,東国では早くから嫁入婚であったという説も提出されている。村落についても,西国においては百姓名の名主になるような本百姓,老(おとな)を中心に座的な構造をもち,宮座が広く見いだされるが,東国には宮座は未発達で,大きな中心的なイエに小さなイエが結びついた同族的な村落が多いといわれているのである。さらに,西国では職能が世襲される傾向が東国に比べると強く,それが〈職の体系〉を支えたとも考えられる。…
…日本に関しては,単子相続を行う〈家〉では,父親(家長)―嗣子の関係が最も優性を示しているが,それに備わった権威・排他性・選択意思などの属性によって,〈家〉に,単なる家族集団ではない,団体としての性格が付与される。そして,〈家〉における嗣子―非嗣子間のヒエラルヒー関係に基づいて,本家―分家から成る〈家〉の連合,すなわち〈同族〉が,一つの親族団体として形成される。日本の〈原組織〉イエモトというのは,大都市などで,この〈同族〉に模してつくられた協同団体corporationのことなのである。…
…後者は村落生活における必要上,分家がある家に依頼して本家となってもらったものである。同族組織を形成するような著しい上下関係が本家との間に成立していない場合であっても,分家にとって本家は多少とも上位に立つと意識されていることがきわめて多い。経済的にもまた祖先祭祀においても,本家は分家よりも価値あるものを所有していることが多いからである。…
… 日本の村落社会においては,身分階層制の様相は複雑をきわめ,地域差もみられた(〈村〉の項の[日本]を参照)。まず,同族的系譜関係や親分子分関係(擬制的親子関係)に基づいた身分階層制の形成がある。たとえば,同族集団では,それを構成する家々が本家から分岐した年代の古さや本家との出自上の関係(直接の分家であるとか孫分家であるとかあるいは奉公人分家であるとか)によって格づけされ,階層化されている。…
…だれを保証人に頼むかは村落の社会構造によって異なる。同族団や親分・子分関係が強い所では,村内の有力者をワラジオヤに頼み,その紹介で加入するとともに,ワラジオヤを本家とする同族団や親分とする親分・子分関係の中に組み込まれて生活を維持することとなった。それに対し非同族的な村落では,そのときのムラの役職者や近隣の者の紹介で加入する。…
※「同族」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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