守安祥太郎(読み)モリヤス ショウタロウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「守安祥太郎」の解説

守安 祥太郎
モリヤス ショウタロウ


職業
ジャズ・ピアニスト

生年月日
大正13年 1月5日

出身地
東京・麻布

学歴
慶応義塾大学大学院中退

経歴
初めサラリーマン生活を送るが、昭和22年横浜の南隆バンドでプロ入り。浅草国際劇場バンド、レッドハット・ボーイズなどを経て、28年上田剛とニー・サウンズに参加。宮沢昭と出会う。翌29年沢田駿吾のダブル・ビーツに参加。日本で初めて本格的にバド・パウエルを始め、チャーリー・パーカーレスターヤングの研究をすすめる。モダン・ジャズ界のパイオニア的存在であったが、音楽性と商業主義相克に悩まされ、国電に飛び込み自殺を図って、31歳で命を絶った。レコートに「幻のモカンボ・セッションVol.1 2」がある。

没年月日
昭和30年 9月28日 (1955年)

伝記
アンド・ジ・エンジェルズ・シング久保田二郎「傑作選」そして、風が走りぬけて行った―天才ジャズピアニスト・守安祥太郎の生涯 久保田 二郎 著植田 紗加栄 著(発行元 河出書房新社講談社 ’99’97発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「守安祥太郎」の解説

守安 祥太郎
モリヤス ショウタロウ

昭和期のジャズ・ピアニスト



生年
大正13(1924)年1月5日

没年
昭和30(1955)年9月28日

出身地
東京・麻布

学歴〔年〕
慶応義塾大学大学院中退

経歴
初めサラリーマン生活を送るが、昭和22年横浜の南隆バンドでプロ入り。浅草国際劇場バンド、レッドハット・ボーイズなどを経て、28年上田剛とニー・サウンズに参加。宮沢昭と出会う。翌29年沢田駿吾のダブル・ビーツに参加。日本で初めて本格的にバド・パウエルを始め、チャーリー・パーカーやレスター・ヤングの研究をすすめる。モダン・ジャズ界のパイオニア的存在であったが、音楽性と商業主義の相克に悩まされ、国電に飛び込み自殺を図って、31歳で命を絶った。レコートに「幻のモカンボ・セッションVol.1 2」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の守安祥太郎の言及

【ジャズ】より

…〈ジャズ・ブーム〉時代にも人気を得たのは,白人グループを模倣したバンドやプレーヤーであった。しかしその陰に,貧苦に耐えながらチャーリー・パーカーやバド・パウエルなど黒人モダニストのレコードに耳を傾けて勉強する,守安祥太郎(1924‐55),龝(秋)吉(あきよし)敏子Toshiko Akiyoshi Tabackin(1929‐ )を筆頭とする一群のアングラ・ミュージシャンがいた。その意味で1961年1月,黒人ドラマー,アート・ブレーキー率いるジャズ・メッセンジャーズJazz Messengersの来日公演が知識層に与えたカルチャー・ショックは重要である。…

※「守安祥太郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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