シング(読み)しんぐ(英語表記)John Millington Synge

デジタル大辞泉 「シング」の意味・読み・例文・類語

シング(Richard Laurence Millington Synge)

[1914~1994]英国の生化学者。分配クロマトグラフィー法とペーパークロマトグラフィー法を考案し、アミノ酸分析の基礎を築いた。1952年、A=P=マーティンとともにノーベル化学賞受賞。

シング(John Millington Synge)

[1871~1909]アイルランド劇作家。詩的写実劇を発表、アイルランドの国民演劇運動を推進し、文芸復興に貢献。作「谷間にて」「海へりゆく人々」「西の国の人気者」など。

シング(thing)

もの。物体。事物。

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精選版 日本国語大辞典 「シング」の意味・読み・例文・類語

シング

  1. ( John Millington Synge ジョン=ミリントン━ ) アイルランドの劇作家。独特の写実的手法を用いて憂愁と悲哀に満ちたアイルランド人の姿を描いた。作品に「谷間の蔭」「海へ騎(の)りゆく人々」「聖者の泉」「西の国の人気者」など。(一八七一‐一九〇九

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「シング」の意味・わかりやすい解説

シング(John Millington Synge)
しんぐ
John Millington Synge
(1871―1909)

アイルランド文芸復興運動の生んだ代表的劇作家。4月16日、ダブリン郊外に生まれる。同市のトリニティ・カレッジを終え、大陸へ遊学した。パリで詩人イェーツに会い、その忠告に従って1898年故郷へ帰り、アイルランドの西の離れ島イニシュモア島(アラン諸島)に渡って民衆の間で生活し、その歌や物語を集録した。この島に魅入られた彼は、その後1902年に至るまで五度この地で夏を過ごし、その経験は旅行記『アラン島』(1907)にまとめられている。

 そのころ、アイルランドの民族意識に目覚め、イギリスからの独立、文化的自立を目ざす民族的要求のなかから生まれた、イェーツ、グレゴリー夫人Lady Isabella Augusta Gregory(1852―1932)らのアイルランド文芸劇場(1899)の運動は、1902年国民演劇協会となり、1904年以来アベイ劇場によったが、シングは1902年これに加わり、以後7年間に六つの劇を書いた。いずれも祖国の民衆の話で、その人情、風景を描いたものである。『谷の陰』(1903)は、放浪の旅に出る女ノラの哀情ある山間の喜劇、『海へ騎(の)りゆく人々』(1904)は孤島の海の悲劇である。『鋳掛屋(いかけや)の婚礼』(1908)、『聖者の泉』(1905)は、浮浪民衆の夢と現実を扱った喜劇(ないしは悲喜劇)。三幕喜劇『西の国の人気者』(1907)は、アイルランドの西の貧村に飛び込んだ浮浪青年が、民衆の気まぐれから英雄視されるが、その空想がさめると追い出されるという、現実と幻想、ユーモアと哀情の交錯する傑作。もっとも、初演時には、アイルランド人への風刺ととられて暴動に近い大騒ぎになったが、活気ある民衆の生活と人情を描いたシングの代表作である。そして最後に、アイルランドの著名な神話伝説に基づく愛の英雄悲劇『悲しみのディーアドレ』執筆中、1909年3月24日、その優れた才能を惜しまれつつ、38歳の若さで死んだ。「クルミやリンゴのような風味のある」民衆の想像力とそのことばを、散文詩にまで高め、「現実と喜び」を舞台にのせることに成功した天才的劇作家である。

[菅 泰男]

『柿崎正見訳『アラン島』(岩波文庫)』


シング(Richard Laurence Millington Synge)
しんぐ
Richard Laurence Millington Synge
(1914―1994)

イギリスの生化学者。10月28日リバプール生まれ。ケンブリッジ大学で博士号取得(1941)、リーズの羊毛工業研究協会、ロンドンのリスター研究所を経て、ローウェット研究所(アバディーン)のタンパク化学部長(1948)、ノリッジの農業研究会議の食糧研究所に所属(1967~1976)。最大の業績は、A・J・P・マーチンと協力してアセチルアミノ酸を分離する方法を開発中、分配クロマトグラフィーを考案(1941)、さらに濾紙(ろし)クロマトグラフィーを開発した(1944)ことであり、これによって分離困難なタンパク質水解液中のアミノ酸が分析され、生化学に貢献、1952年マーチンとともにノーベル化学賞を受賞した。さらにペプチドの分析方法について研究を発展させ、グラミシジン(ポリペプチド、抗生物質)を分離し、その構造を明らかにした。

[岩田敦子]

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改訂新版 世界大百科事典 「シング」の意味・わかりやすい解説

シング
John Millington Synge
生没年:1871-1909

アイルランドの劇作家。ヨーロッパを放浪して世紀末文学の影響を受けたが,パリでW.B.イェーツに会って帰国をすすめられ,帰国後はアベー座でアイルランドの民衆生活や伝説を題材とした劇を発表。アイルランド演劇復活運動の中心人物の一人となる。作品には,アラン諸島で聞いた民話をもとに農民を描いた《谷の陰The Shadow of the Glen》(1903),漁師の夫や息子を海に奪われた女たちの嘆きを扱った詩的な悲劇《海へ騎(の)り行く人々Riders to the Sea》(1904),喜劇《聖者の泉》(1905)や《鋳掛屋の婚礼》(1909)があるが,最も有名なものは《西の国の伊達男The Playboy of the Western World》(1907)である。これは,田舎の村へやって来た青年が父を殺したといううそをついたために度胸のある男として人気者になるという喜劇で,初演のときには,アイルランドの庶民を愚弄していると誤解されて騒ぎが起こった。シングの戯曲は,アイルランドの方言を生かした独特の英語による詩的な文体を作り出した点で,とくにすぐれている。また紀行文《アラン諸島》(1907)も有名である。
執筆者:

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化学辞典 第2版 「シング」の解説

シング
シング
Synge, Richard Laurence Millington

イギリスの生化学者.1936年ケンブリッジ大学を卒業後,同大学生化学研究室研究生,1939年リーズの羊毛工業研究所に入り,1941年学位を取得して,同所研究員となった.1943年リスター予防医学研究所所員.1948年アバディーンのローウェット研究所タンパク質化学部長となった.1938年からA.J.P. Martin(マーチン)と共同してアセチルアミノ酸類の分離方法を研究し,1941年にシリカゲルカラムを用いた分配クロマトグラフィーを開発してこれに成功した.さらにかれらは,1944年ペーパークロマトグラフィーを完成させた.かれはこれを複雑なペプチドのアミノ酸配列を解明する手段として用い,1948年までに抗生物質グラミシジンの構造を明らかにした.これらの業績により,1952年Martinとともにノーベル化学賞を受賞.迅速かつ精確なこの分析手段はインスリンの構造(F. Sanger(サンガー))や光合成の過程(M. Calvin(カルビン))の解明に役立つなど,その後広く応用された.1967~1976年ノリッジの食品研究所研究員.1968~1984年イーストアングリア大学生物科学名誉教授を務めた.

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シング」の意味・わかりやすい解説

シング
Synge, John Millington

[生]1871.4.16. ラスファーナム
[没]1909.3.24. ダブリン
アイルランドの劇作家。ダブリンのトリニティー・カレッジに学んだのち,故郷とパリの間を往来して文筆活動にたずさわる。 1899年パリで W.イェーツに会い,アイルランドの庶民生活を描くことをすすめられ,数年にわたるアラン諸島での見聞をまとめて『アラン諸島』 The Aran Islands (1907) を書く。その後に書かれた戯曲も大半はアラン諸島その他僻地の庶民生活を題材としたものである。作品は『谷間の陰』 The Shadow of the Glen (03) ,『海へ騎り行く人々』 Riders to the Sea (04) ,『聖者の泉』 The Well of the Saints (05) ,『西の国の人気者』 The Playboy of the Western World (07) ,『いかけ屋の結婚式』 The Tinker's Wedding (09) など,いずれもアイルランド文芸復興の中核となった作家にふさわしい名作である。

シング
Synge, Richard Laurence Millington

[生]1914.10.28. リバプール
[没]1994.8.18.
イギリスの生化学者。ケンブリッジ大学で学位を取得し (1941) ,リーズの羊毛調査協会,ロンドンのリスター予防医学研究所,アバディーンのローウェット研究所などで研究した。 A.J.P.マーティンとともに分配クロマトグラフィー,とりわけペーパークロマトグラフィーの研究ですぐれた業績を上げ,1952年2人でノーベル化学賞を受賞した。 51年には他の4人の科学者とともに「平和のための科学」委員会"science for peace" committeeを結成した。

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百科事典マイペディア 「シング」の意味・わかりやすい解説

シング

アイルランドの劇作家。ダブリン近郊に生まれる。ヨーロッパ放浪中に世紀末文学の影響を受けたが,フランス滞在中イェーツに見いだされ,そのすすめでアラン諸島を訪れ,海辺の自然と漁民の生活感情を素材にした作品を生む。悲劇《海へ騎(の)り行く人びと》(1904年),喜劇《西の国の伊達男》(1907年)はその代表作で,アイルランド国民演劇の最良の成果でもある。ほかに《鋳掛屋の婚礼》《聖者の泉》など。
→関連項目アベー座アラン[諸島]

シング

英国の化学者。ケンブリッジ大学卒。ペーパークロマトグラフィーなどのすぐれたアミノ酸微量分析法を確立し,抗菌性物質クラミシジンのアミノ酸配列を決定した。1952年共同研究者のA.J.P.マーティンとともにノーベル化学賞。

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世界大百科事典(旧版)内のシングの言及

【スカンジナビア】より

…この闘争を通じて組織されたスウェーデン国会Riksdagには,他のヨーロッパ諸国の身分制議会と異なり農民代表が地位を占めた。
[集会の機構]
 農民たちは,共通の関心事(相互の紛争の調停,治安,防衛)を処理するために集会(古北欧語シングthing,現代語ting,しばしば民会と訳される)をもった。異教時代にはここで,共同体結合を神聖化し,収穫と平和と戦勝を祈願する祭祀も行われた。…

【民会】より

…帝政初期以降,属州の都市や部族の代表が中心市で元首をまつり,属州の問題を議したもので,ときには総督の失政を元首に訴えた。【鈴木 一州】
【ゲルマン社会】
 ゲルマン人のもとでは,ディングDing(ドイツ語),シングthing(古北欧語)などと呼ばれる自由人の集会があった。古典古代すなわちギリシア・ローマの民会が国政上の一機構であり,評議会,元老院による貴族の発議権に対する平民の同意権(ないしは拒否権)が行使される場であるのと異なり,ゲルマン人の〈民会〉は経済的・政治的にそれぞれ自立した自由人の集合・集会であり,タキトゥスも《ゲルマニア》11~12章にいうように,立法・司法機能をもつが執行機能をもたない。…

【アイルランド演劇】より

…イギリスやヨーロッパの商業的あるいは自然主義的演劇の模倣ではなく,祖国の神話,民俗的伝統,また社会的現実に題材を求めること,ただし政治的党派性を排して,真の民族的文化の自覚を高めること――このような目標をかかげて同志を集めた運動は,1903年アイルランド国民劇場協会Irish National Theatre Societyへと発展し,04年にはホーニマン女史の援助でダブリンに拠点劇場アベー座が建てられた。伝説的英雄クーフリンを扱った《バーリアの浜辺で》(1904初演)から最晩年の《煉獄》(1938初演)にいたるイェーツの戯曲のほとんどがここで初演されたほか,脱獄した独立運動家を扱ったグレゴリー夫人の《月の出》(1907初演),アラン諸島に生きる貧しい漁民たちの不幸を描いたJ.M.シングの簡潔な悲劇《海へ騎(の)りゆく人々》(1904初演)などの秀作が生まれた。ケルト民族特有の幻視的ロマンティシズムにみちた作品や,西部地方の方言を会話に生かした写実的でしかも詩情豊かな作品など,さまざまな作風の作品が簡素で象徴的な演出によって上演され,アベー座は20世紀初頭の世界演劇における重要な一拠点と目されるにいたった。…

【アイルランド文学】より

…文学運動の実践をうながす直接のきっかけとなったのは,オグレーディStandish James O’Grady(1846‐1928)の《アイルランド史》2巻(1878‐80)である。彼がここに集成したアルスター伝説群には,王コノハーの奸智,デアドラの悲恋,英雄クーフリンの武勲などをめぐる物語が含まれており,イェーツ,グレゴリー夫人,シングをはじめ,G.W.ラッセル(筆名AE),J.スティーブンズらの文学者にかっこうの素材を提供することになった。イェーツはフィニア伝説群にも題材を見いだし,フィンの息子を主人公とする長編詩《アシーンの放浪》(1889)において,この英雄が妖精ニーアブとともに西方の魔法の島々をめぐり,300年を経て故郷へ帰るという幻想的な物語を,繊細巧緻な韻文で語り,詩人としての地位を確立した。…

【アラン[諸島]】より

…元来,漁夫の防水用であったセーターがアラン・セーターの名で日本でも親しまれている。劇作家シングはしばしばここを訪れ,その経験は《海へ騎(の)りゆく人々》(1904初演)に結実した。R.フラハティの映画《アランMan of Aran》でも知られる。…

※「シング」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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