日本大百科全書(ニッポニカ) 「安冨祖正元」の意味・わかりやすい解説
安冨祖正元
あふそせいげん
(1785―1865)
琉球(りゅうきゅう)三味線音楽の一流派「安冨祖流」の祖。首里汀志良次(てしらじ)(現那覇市)に生まれ、父の家統を継いで国頭久志間切嘉陽(くにがみくしまぎりかよう)村の地頭職になったが、後年恩納間切(おんなまぎり)安冨祖村の地頭に転じたので姓も安冨祖に改められた。この流派も最初は嘉陽風といわれたという。琉球古典音楽「当流」の継承者で中興の祖といわれる知念積高(ちねんせっこう)に20年間師事し、当流の開祖屋嘉比朝寄(やかびちょうき)や師がつくりあげた細緻(さいち)精巧の洗練を第一に心がけた。1845年(弘化2)に奏楽心得と楽理を記述した音楽書『歌道要法』をまとめた。兄弟弟子に20歳年下の野村安趙(あんちょう)がおり、のち野村流と安冨祖流が二大流派として当流を継承し、今日に至っている。
[當間一郎]