日本大百科全書(ニッポニカ) 「知念積高」の意味・わかりやすい解説
知念積高
ちねんせっこう
(1761―1828)
沖縄三味線音楽の演奏家。首里桃原(とうばる)の生まれ。初め湛水(たんすい)流の奥平朝昌(ちょうしょう)に師事し、のち豊原朝典(とよはらちょうてん)の門下生となって屋嘉比朝寄(やかびちょうき)の「当流」を学んだ。尚温(しょうおん)王と尚灝(しょうこう)王の御冠船(おかんせん)踊の楽師を二度勤め、農民の出身ながら、絃歌(げんか)の功により士族に列せられ、歌氏という氏を受けた。また屋嘉比創案の楽譜「工六四(クルルンシー)」に改良を加えて『芭蕉紙(ばしょうし)工工四(クンクンシー)』を完成し、屋嘉比作曲の117曲に新たに46曲を追加した。まれにみる声楽家・理論家でもあった積高は、琉球(りゅうきゅう)音楽の権化といわれ、彼によって「当流」は大きく変化し、繊細で技巧的なものになったといわれる。弟子に、安冨祖(あふそ)流の祖安冨祖正元(せいげん)、野村流の祖野村安趙(あんちょう)がいる。
[當間一郎]