日本大百科全書(ニッポニカ) 「野村安趙」の意味・わかりやすい解説
野村安趙
のむらあんちょう
(1805―1872)
沖縄三味線音楽「野村流」の祖。首里崎山生まれ。屋嘉比朝寄(やかびちょうき)の「当流」を継承した知念積高(ちねんせっこう)に師事し、三味線歌を学んだ。同門の安冨祖正元(あふそせいげん)(安冨祖流の祖)とともに尚育(しょういく)王の御冠船(おかんせん)踊の楽師を勤め、さらに尚泰(しょうたい)王の楽師をも勤めた。尚泰王の命を受け、弟子の松村真信(しんしん)とともに楽譜「工工四(クンクンシー)」を改良し、上巻(端節(はぶし)集)、中巻(古典集)、下巻(二揚曲早節(にあげきょくはやぶし)集)の150曲に編集した。のち松村により拾遺90曲が加えられている。これは師知念積高の工工四を基本とし、罫紙桝目(けいしますめ)を入れて拍子や時間を定め、声出し符号などを加えることによって、譜の細密化を図ったものである。これは「御拝領工工四」とよばれ、今日の野村流の楽典になっている。
[當間一郎]