朝日日本歴史人物事典 「安富智安」の解説
安富智安
室町時代の武将,細川氏被官。讃岐半国守護代。文安1(1444)年ごろ筑後守となり,安富筑後守,安富筑後入道と称する。備中国(岡山県)の守護細川氏の有力家臣として永享1(1429)年同国新見荘(新見市)の国衙代官となり東寺領の請所代官を兼ねたが,嘉吉1(1441)年以降は領家東寺に対し年貢の滞納を続けた。同地では土豪,農民の抵抗が一定の勢力を持っていたらしく,寛正2(1461)年に大飢饉が発生すると,同年6月から7月にかけて代官排斥運動が展開され,東寺の直務支配となった。しかし,これに先立ち又代官大橋氏らが追放され,智安も代官を解任された。のち,直務代官も名主らに謀殺されている。
(森田恭二)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報