出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
地方行政組織である国の役所。または役所の所在地。また国の行政機構総体をもさす。国府・国庁などの語との異同については諸説あるが,国衙の用例は平安時代以降に増加。役所としての国衙は政庁・倉庫群・学校(国学)などから構成され,11世紀以降の史料にみえる政所(まんどころ)・田所(たどころ)・税所(さいしょ)・大帳所・健児所(こんでいしょ)などの「所」も,その一部は奈良時代から存在したらしい。行政機構としての国衙は,11世紀以降国司遥任(ようにん)の一般化にともない,国司の代理人である目代(もくだい)が組織した留守所(るすどころ)が,在地豪族や中央から土着した中下級貴族からなる在庁官人を指揮するという体制となるが,しだいに両者の対立が強まり,後者を御家人に組織した鎌倉幕府によって,国衙は守護を中心に再編成されていった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
本来は、国府(こくふ)の正庁を中心とした官衙群(建物)をさす。転じて、国司(こくし)・在庁官人(ざいちょうかんじん)らの勤務する機関を総称する。
[編集部]
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…中世において,荘園とならず諸国の国衙が支配した公領。国領とも称した。…
…中央から諸国に赴任し,在地勢力である管内諸郡の郡司を統率して一国の政治を行った。その政庁を国衙(こくが)あるいは国庁といい,政庁所在地を国府といった。
[成立]
大和国家の地方組織は,在地勢力である国造(くにのみやつこ)・県主(あがたぬし)等の支配する国・県等から成り,中央の朝廷が必要に応じて臨時に役人を地方に派遣することがあって,それが国宰(くにのみこともち)などと呼ばれることはあっても,庶政全般をつかさどる常駐の地方官というものは存在しなかった。…
…律令制下における国の官衙(かんが)の所在地。史料的には〈国府〉〈国衙〉はいずれも国の官衙を指すが,現在では国衙は官衙を,国府は国衙の周囲に広がる計画的な都市を示す用語として使うことが多い。7世紀後半における国‐国司制の施行とともに諸国に設けられた。…
…鎌倉時代のものとしては1235年(嘉禎1)に幕府が認めた安芸守護藤原親実の例が著名である。それは国府ならびに同近辺の郡地頭職,在庁兄部(このこうべ)職(国衙在庁官人の支配・指揮権をもつ),祇園神人兄部職(交通・商業活動を行う祇園社神人の支配権をもつ),国内に広く分布する久武名(有勢な国衙在庁の仮名)などから成っており,これらは前守護武田信光さらに宗孝親の体制を継承したものであった。守護宗孝親は在国司で在庁兄部を兼帯していたが,承久の乱の際朝廷方に属してそれらを没収された。…
…室町幕府はいわばこのような権力である守護大名の連合政権であると理解する説である。室町幕府の地方行政官であった守護が付与された諸権限をてこにして任国を領国化していく事態は,具体的には国内の在地領主,荘園,国衙(領)の3者との関係において論じられた。まず領主層を服属させて直属家臣団を形成すること,次に中央所課段銭の徴収等を通して家臣を荘園に入部させ,荘園を守護請し,徐々に荘園領主権を後退させて自己の支配基盤に転化していくこと,また国衙在庁の被官化や国衙目代職の進退権を獲得して国衙機構を掌握するとともに国衙領を守護請すること,などである。…
…古代末~中世に国衙の軽物(けいもつ∥かるもの)(絹や布)徴収の業務を担った機関。調は〈みつぎもの〉の意。…
※「国衙」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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