安来町(読み)やすぎまち

日本歴史地名大系 「安来町」の解説

安来町
やすぎまち

[現在地名]安来市安来町 大市場おおいちば中市場なかいちば西小路にしこうじ東小路ひがしこうじ本町ほんまち新町しんまちなど

現安来市の中心街に位置し、中海に臨む中世以来の安来津を核として発展した都市。近世には山陰道も通り、出雲有数の交通の要所松江藩の経済活動の要として栄えた。幕府へ提出した国絵図や郷帳では安来村として在方と一括されているが、同藩の支配上は地銭を徴収する町場として別の行政単位になっていた。

慶長二年(一五九七)の安来浜検地帳が伝存し、畑方のみで六町七反余・分米三九石余、屋敷数八。この安来浜が核となってのちの安来町ができたとみられる。元禄一一年(一六九八)の安来町地銭御検地帳によれば郡中屋・目代・町役人など九軒、金額にして四四匁七分余は御免地で、それを除いた町場の課税対象になる屋敷家数は二三一軒、その額は五三匁余であった。これは一軒につき平均二匁強の地銭となり、この額は農民の負担と比較してきわめて軽いものであった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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