島根県安来地方の民謡。同地方で酒席の唄(うた)として歌われてきたもので、その源流は、天保(てんぽう)年間(1830~44)に現在の鳥取県境港(さかいみなと)市にいた芸妓(げいぎ)、さん子を歌詞に詠み込んだ『さんこ節』で、それが海路船乗りによって安来に伝えられ、花柳界のお座敷唄になった。ところが出雲拳(いずもけん)での拳遊びの下座(げざ)などに用いられるうちしだいに長編化し始め、しかも歌詞も港づくしの「出雲捲(ま)き出しゃ境の港……」が好んで歌われ、歌い出し文句をとって『出雲節』とよばれるようになった。その『出雲節』に「安来千軒名の出た所……」の歌詞が生まれるに及んで『安来節』と改められた。その『安来節』を幕末から明治にかけて、井戸町の鍼医(はりい)大塚順仙が節回しを整理し、続いて中市場で煮売り屋を営む今市屋伝来が伴奏を整えるなどの改良をしたところへ、料理屋の主人渡部佐兵衛・お糸親子の出現で、今日の型が完成した。1911年(明治44)の正調安来節保存会の結成、1915年(大正4)の渡部お糸のレコード吹き込みなどで全国に広まった。なお、踊りの「泥鰌(どじょう)すくい」は元来「土壌すくい」で、島根県の砂鉄精選の作業場で働く男たちの所作を模して生まれたものという。安来市において、安来節競演大会や安来節家元お糸まつりなど各種催しが開かれていて、2006年(平成18)には安来節演芸館も開館した。
[竹内 勉]
日本の民謡。島根県安来市に発達したことからの名称。起源については諸説あるが,出雲節という船歌が元歌といわれる。安来節の原調を歌いはじめたのは,安来の大塚順仙という鍼(はり)医者だというが,江戸時代末に鳥取県境港の芸妓さん子がこれを改良して歌い〈さんこ節〉として流行した。出雲一帯ではこれに手を加えて〈なぜまま節〉〈和田見節〉〈はまさだ節〉などの名で盛んに歌われた。現在の安来節の定着は安来で料理屋を営む渡辺佐兵衛と,その四女お糸(1875-1956)の功績によるもので,佐兵衛が歌に手を加え,美声で聞こえたお糸が歌い,1916年には彼女がみずから三味線を弾き,名人富田徳之助とともに上京,浅草六区で興行した。このことが安来節を有名にする基礎となった。〈安来千軒,名の出たところ,社日桜(しやにちざくら)に十神山(とがみやま)〉が代表的な歌詞で〈アラ エッサッサ〉の囃しことばがつく。この歌に合わせて踊るのが有名などじょうすくいである。
→泥鰌掬(どじょうすくい)
執筆者:須藤 豊彦
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…島根県安来(やすぎ)市の民謡〈安来節〉の踊り。手ぬぐいで頰かぶりをし,たすきをかけ,着物を尻はしょりに着て,ざるを手にドジョウをすくい取る振りで踊る。…
※「安来節」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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