日本歴史地名大系 「安来津」の解説
安来津
やすぎのつ
現安来町地域に発達した湊。
〔中世〕
中世の安来津は現在の安来港よりさらに内陸部に入った所に所在したと推定される。成立は山陰地域における日本海水運が基幹的交通手段としての地位を獲得する中世成立期の平安時代末期までさかのぼると推定され、若狭国
安来津は伯耆国と近接し、伯耆から出雲への入口にもあたっていたところから、足利直冬が伯耆山名氏と結んで出雲への勢力拡大に努めた南北朝内乱の際、重要な軍事拠点として機能した。杵築大社の国造北島貞孝が、直冬が安来津に滞在していたとき兄孝宗(千家)の非分を訴えたというのも(正平一二年一月日「国造北島貞孝申状」北島家文書)、これをうかがわせるものであろう。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報