安治村(読み)あわじむら

日本歴史地名大系 「安治村」の解説

安治村
あわじむら

[現在地名]中主町安治

五条ごじよう村の北西、琵琶湖岸に面した平地に立地。九ノ坪の古代条里の数詞坪地名が残る。明応六年(一四九七)のいろいろ帳(安治共有文書)兵主ひようず一八郷の一として「本かう あわち村」がみえる。元亀三年(一五七二)三月一九日付の金森かねがもり(現守山市)の一向一揆に荷担しないことを誓約した起請文(水木文書)に「安治惣代」がみえる。この頃から織田信長領(初め佐久間氏支配、天正八年以降直轄地)。元亀三年と推定される閏正月六日の安治村後家改(安治共有文書)は、夫役を負担できない後家を調べて夫米を課すためのもので、当時後家数一一軒。惣村制が発達しており、夫役は惣村として受けとめたが、天正五年(一五七七)一一月一五日・同年一二月一五日の村定(同文書)では、夫役に対する農民の抵抗の一端が知られる。同七年一一月二二日の家数改(同文書)では本家数二六軒で、うち二〇軒に縄・藁を、後家数一六軒には藁のみを賦課した。陣夫については同六年佐久間定栄が安治村惣中に宛て、陣夫該当者九人のうち三人を出すよう命じ(同年八月二四日「定栄書状」同文書)、翌八年には陣夫該当者六人のうちの二人を徴発している(同年九月五日「織田信長奉行人奉書」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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