安田雷洲(読み)やすだ・らいしゅう

朝日日本歴史人物事典 「安田雷洲」の解説

安田雷洲

生年生没年不詳
江戸後期の洋風画家。江戸の四谷大木戸に住んだ幕府与力。名は尚義,字は信甫,通称定吉のち茂平。文華軒,馬城とも号した。オランダの画家ルカス・ヴァン・ライデンにあやかりWillem van Leidenとも称した。北斎門人あるいは亜欧堂田善の門人などと推定されているが師系は定かでない。文化11(1814)年から安政5(1858)年にかけて,読本・人情本の挿絵,銅版画,肉筆洋風画を制作した。銅版画では「東都勝景真図」(1821)のシリーズ15点,「東海道五十三駅図」(1844頃),肉筆画では「赤穂義士復讎図」,「江之島図」(1856),「富士箱根遠望図」(1858)が特に知られている。

(浅野秀剛)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「安田雷洲」の解説

安田雷洲 やすだ-らいしゅう

?-? 江戸時代後期の画家。
江戸の四谷大木戸にすんだ幕府の与力。葛飾(かつしか)北斎にまなんだといわれる。文化11-安政5年(1814-58)に洋風画や銅版画,読み本の挿絵をおおくかいた。名は尚義。字(あざな)は信甫。通称は茂平。別号に文華軒,馬城。作品に銅版画「東海道五十三駅図」,肉筆画「江之島図」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の安田雷洲の言及

【銅版画】より


[日本における銅版画]
 日本には16世紀末にイエズス会によって彫刻銅版画(エングレービング)が導入されたが,17世紀初めにキリシタン弾圧によって断絶した。18世紀後半に司馬江漢がエッチングを再興し,亜欧堂田善,安田雷洲ら注目すべき作家を生んだ。開国後イタリアから招聘したキヨソーネが再びエングレービングを教え,腐食法とともに実用的な挿図,地図などに用いられた。…

【洋風画】より

…したがって,彼らにとって西洋原画の模写はおもに画法習得のためであり,第1期の洋風画家のように目的そのものではなかった。西洋画研究の材料となった図書や版画は長崎を通じて輸入されたが,第2期洋風画の主流はむしろ新興文化の中心である江戸にあり,この地には18世紀後半以後,秋田蘭画の小田野直武,佐竹曙山(義敦),また司馬江漢,亜欧堂田善,そして安田雷洲らの洋風画家があいついで登場した。秋田蘭画は和洋折衷の作風を示し,油絵や銅版画を作らなかったが,司馬江漢以後の人々はこれらの新技術を駆使して,多くの洋風画を制作した。…

※「安田雷洲」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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