日本歴史地名大系 「宍倉村」の解説 宍倉村ししくらむら 茨城県:新治郡出島村宍倉村[現在地名]出島村宍倉南は上大堤(かみおおつつみ)・三ッ木(みつぎ)・成井(なるい)・岩坪(いわつぼ)・上軽部(かみかるべ)の各村、東は安食(あんじき)村、北は井関(いせき)村(現石岡市)に接する大村で、「新編常陸国誌」に東西二里三町余・南北二〇町余と記される。北東の一角は霞ヶ浦に突出し、村の西端に源を発する菱木(ひしき)川が東流して霞ヶ浦に注ぐ。中世は南野(みなみの)庄に属し、文亀年間(一五〇一―〇四)には小田氏の家臣菅谷隠岐守が宍倉城に拠って支配したが(関東古戦録)、天正期(一五七三―九二)に菅谷氏は佐竹氏に敗れて佐竹氏の支配下に入る。のち一族の東義久の知行地となり、文禄四年(一五九五)の中務大輔当知行目録(秋田県立図書館蔵)に「六百五拾六石五斗壱升 志々倉・はき・しま」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by