定輪寺村(読み)じようりんじむら

日本歴史地名大系 「定輪寺村」の解説

定輪寺村
じようりんじむら

[現在地名]裾野市桃園ももぞの

富沢とみざわ村の北、黄瀬きせ川の西岸に位置する。同川を挟んで東方は佐野さの村。富沢村と同様に村域は北西―南東方向に細長く、北西方は愛鷹あしたか山東麓の丘陵地となっている。曹洞宗の古刹桃園山定輪寺の門前として発達した村で、桃園村ともいった。中世には大岡おおおか庄のうちで、天文二〇年(一五五一)九月二一日今川義元は「大岡庄桃薗定倫寺」に対し、山林竹木伐採の禁止、殺生禁断・寺領安堵・門前諸役免除などの条目を定めている(「今川義元判物」定輪寺文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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