宝生寺跡(読み)ほうしようじあと

日本歴史地名大系 「宝生寺跡」の解説

宝生寺跡
ほうしようじあと

[現在地名]大村市三城町

三城さんじよう城跡の北麓にあった真言律宗の寺院跡。明徳二年(一三九一)改の西大寺諸国末寺帳(西大寺文書)に寺号がみえ、奈良西大寺末となったのは永和元年(一三七五)とある。永禄六年(一五六三)大村領内にキリスト教が広まるにつれて寺社の焼打ちなどがあったが、規模の大きい当寺は宣教師らの住院に改築され、一五九〇年(天正一八年)以降に語学校も開設された。一五六八年(永禄一一年)オオムラの町でドン・バルトロメオ(大村純忠)はその城に近い教会にしばしば来たが、この教会はルセナ神父が宝生寺Fuxonjiとよんでいる(一五六九年一〇月三日「ヴァス書簡」イエズス会士日本通信、「アフォンソ・デ・ルセナの回想録」)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android