日本歴史地名大系 「大村城下」の解説
大村城下
おおむらじようか
〔町割と規模〕
慶長四年(一五九九)大村喜前は普請なった玖島城に移り、その東手に城下町を建設した。大村一族および大身家臣の屋敷割を行ったあと、外海一騎衆(外浦衆)の城下への集住を推進している。郭外に五小路と称される
町人地は
〔町方支配と負担〕
町方は町奉行のもとに町別当が置かれ、行政をつかさどった。田町の町役所では町別当が一名勤番して町方行政を管掌したが、同役所は別当屋敷ともよばれ、町別当はのち町与力とも称された。文化九年当時の町奉行は川勝六郎兵衛で、市中見張役が一瀬喜左衛門、町与力が佐藤仁助、下役が一瀬右兵衛であった(伊能忠敬測量日記)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報