宮ヶ久保遺跡
みやがくぼいせき
[現在地名]阿東町大字徳佐中 宮ヶ久保
標高三〇〇メートルの徳佐盆地西辺にあり、阿武川の支流、沖田川沿いの沖積段丘の上に立地する。弥生時代中期の土器を出土する竪穴住居群と高床の建物群や、これらの集落を取り囲む大溝とからなる弥生時代の集落遺跡である。昭和五〇年(一九七五)約九千平方メートルの区域が発掘調査された(「宮ヶ久保遺跡」山口県文化財・一九七六年)。
弥生中期の土器や石器とともに多量の木器類が出土し、農耕具、工具、狩猟採集用具、什器、祭器などに大別される。農耕具には鍬・鋤・砧・臼、工具としては斧の柄・叩き板・掛矢などがある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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