日本歴史地名大系 「徳佐村」の解説
徳佐村
とくさむら
長門国の最東端に位置し、
地名の由来について、「注進案」は「長門国風土記」という書に「昔天大神之子御食主命、自将来十種神財埋此山、誓之曰、此山万歳不可生樹木也、仍名此山号十種峯、今云徳佐上也」とあると記す。北西にそびえる十種峰による名とするのである。
中世には徳佐郷(得佐郷)とよばれた地で、文和元年(一三五二)八月一三日付の
慶長一五年(一六一〇)の検地帳でも「徳佐郷」と記され、総石高二千九四五石余、うち田方が二九七町余で二千五二二石余、畠方が八九町余で二四八石余、百姓屋敷三二三、市屋敷一九、小物成一三石余と記される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報