徳佐村(読み)とくさむら

日本歴史地名大系 「徳佐村」の解説

徳佐村
とくさむら

[現在地名]阿東町大字徳佐上とくさかみ・大字徳佐中とくさなか・大字徳佐下とくさしも

長門国の最東端に位置し、十種とくさ峰の東南麓、阿武川上流の諸支流がつくる徳佐盆地を中心に周囲の山地を村域とする大村。北と東は石見国鹿足かのあし郡、北西嘉年かね南西地福じふく、南は柚木ゆのき(現佐波郡徳地町柚木)の各村に囲まれる。奥阿武宰判所属。

地名の由来について、「注進案」は「長門国風土記」という書に「昔天大神之子御食主命、自将来十種神財埋此山、誓之曰、此山万歳不可生樹木也、仍名此山号十種峯、今云徳佐上也」とあると記す。北西にそびえる十種峰による名とするのである。

中世には徳佐郷(得佐郷)とよばれた地で、文和元年(一三五二)八月一三日付の大井おおい八幡宮(現萩市)の宮座文書「御祭礼郷々社頭座敷本帳之事」に、右座二番として徳佐郷とみえる。

慶長一五年(一六一〇)検地帳でも「徳佐郷」と記され、総石高二千九四五石余、うち田方が二九七町余で二千五二二石余、畠方が八九町余で二四八石余、百姓屋敷三二三、市屋敷一九、小物成一三石余と記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の徳佐村の言及

【阿東[町]】より

…山口県北部,阿武郡の町。日本海に入る阿武川の上流部を占め,島根県津和野町に接する山間農村地域。1955年嘉年(かね),徳佐,地福,篠生(しのぶ),生雲(いくも)の5村が合体,改称,町制。人口9133(1995)。町役場所在地の徳佐は近世の石州街道に沿う市場町として発達した所で,現在国道9号,JR山口線が通り,阿武郡東部の中心をなす。県境の野坂火山群による堰塞(えんそく)湖盆だった徳佐盆地は県北部最大の稲作地域であり,近年は果樹栽培や酪農も盛んで,鍋倉のリンゴや長門峡付近のナシは観光農業としても成功している。…

※「徳佐村」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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