宮津郷
みやづごう
「和名抄」高山寺本・刊本とも訓を欠く。宮の津頭の意味として訓は「日本地理志料」の記すごとく古来「美也都」で一定していたと思われる。初見は平城宮出土木簡で、「宮津郷烏賊二斤太」とみえる。古代の宮津郷についてはこれ以外に史料がないが、建久二年(一一九一)一〇月日付長講堂所領注文(島田文書)に記される長講堂(跡地は現京都市下京区)領宮津庄が郷域内に立荘されている。これは伊禰庄役を引き継いだものである。同所領注文には長講堂で行われるもろもろの修法の料物・夫役・門兵士の類に至るまであげられるが、それらの多くがすでに「不勤之」と注されていることは立荘の年代がかなり古いと考えられるかもしれない。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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