日本歴史地名大系 「宮津庄」の解説
宮津庄
みやづのしよう
現宮津市のうち市制以前の旧宮津町・
荘名の初見は建久二年(一一九一)一〇月日付長講堂所領注文(島田文書)で次のように記される。
鎌倉初期においてすでに元三料・彼岸御布施・御更衣畳・月充仕丁・召使給物・移花などの「近年不勤之」、あるいは「不勤仕」が目立つ。
正安二年(一三〇〇)三月六日付後深草院置文(京都大覚寺蔵)によると、
久下文書の
は、同文書の他の部分からみて宮津庄と考えられ、延文三年(一三五八)一二月二〇日には、宮津庄地頭職は、丹波
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報