宮田哲雄(読み)ミヤタ テツオ

20世紀日本人名事典 「宮田哲雄」の解説

宮田 哲雄
ミヤタ テツオ

明治・大正期の医師 宮田病院長;東京市議。



生年
慶応3年8月7日(1867年)

没年
昭和3(1928)年4月26日

出身地
常陸国(茨城県)

学位〔年〕
医学博士

経歴
済生学舎で学び、医術開業試験に合格。のち東京帝大医科に入学して病理学皮膚病を3年間研究する。明治33年東京市市医となり、伝染病予防委員を務める。ついでドイツ留学を命じられ、40年ドクトル・メジチーネの学位を得て帰国。東京日本橋区村松町に宮田病院を設立し一般外科、特に内臓外科の診療に従事した。一方、大正2年から日本橋区議、東京市議も務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宮田哲雄」の解説

宮田哲雄 みやた-てつお

1867-1928 明治-大正時代の医師。
慶応3年8月7日生まれ。常陸(ひたち)(茨城県)の人。済生学舎でまなび,医術開業試験に合格。明治33年東京市市医となり,ドイツ留学後外科医院を開業した。日本橋区会議員,東京市会議員もつとめる。昭和3年4月26日死去。62歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android