宮部一郎(読み)ミヤベ イチロウ

20世紀日本人名事典 「宮部一郎」の解説

宮部 一郎
ミヤベ イチロウ

昭和期の農村運動家 元・家の光協会会長



生年
明治21(1888)年12月22日

没年
平成2(1990)年10月3日

出生地
埼玉県羽生市

学歴〔年〕
札幌農学校〔明治45年〕卒,東京帝大経済学部〔昭和3年〕卒

主な受賞名〔年〕
藍綬褒章〔昭和39年〕,勲三等瑞宝章〔昭和41年〕,農協特別功労賞〔昭和45年〕

経歴
大正3年満州奉天北陵農場長、5年満鉄に移り、14年退社して帰国東大を出た後の昭和6年産業組合中央会(後の農協)に勤め、教育部長から専務理事となり、22年農協から分離した家の光協会会長に就任した。農協の文化事業としての雑誌「家の光」は25年に創刊され36年には180万部に達した。48年顧問に退いたが、その間、共栄火災海上取締役、全日本社会教育連合会理事、協同組合短大学長、民社党顧問を務めた。植物学者宮部金吾の女婿

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学歴

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宮部一郎」の解説

宮部一郎 みやべ-いちろう

1888-1990 昭和時代の産業組合指導者。
明治21年12月22日生まれ。昭和6年産業組合(農協の前身)中央会にはいり,20年常任理事。21年家の光協会副会長をかね,22年より48年まで会長。36年雑誌「家の光」新年号で180万部突破の実績をつくった。平成2年10月3日死去。101歳。埼玉県出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む