富岡郷学校跡(読み)とみおかごうがつこうあと

日本歴史地名大系 「富岡郷学校跡」の解説

富岡郷学校跡
とみおかごうがつこうあと

[現在地名]阿南市富岡町

弘化三年(一八四六)徳島藩主蜂須賀斉裕の命により郡代高木真蔵によって設置された郷学校で、暇脩かしゆう(暇修)館と名付けられた。敷地は富岡町うち町にあった賀島出雲守の支配地五畝一九歩の提供を受けた。経費は取締役吹田与右衛門・神原五郎右衛門による毎年七〇〇目から一貫目の拠出金によったが不足することが多く、賀島家から毎年米二石の寄贈を受けた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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