富田高野村(読み)とみだこうやむら

日本歴史地名大系 「富田高野村」の解説

富田高野村
とみだこうやむら

[現在地名]成東町富田幸谷とみだこうや

柴原しばはら村の南西にあり、山辺やまべ郡に属する。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に富田茅原村(高一五〇石)とあるのが当村であろう。正保国絵図では富田幸谷とある。寛文八年(一六六八)の鷹場五郷組合帳では富口組に属し、与力給知。与力は江戸北町奉行組与力で幕末まで同給知(九十九里町誌)。安永一〇年(一七八一)年貢皆済目録(九十九里町誌資料)では米納二八七俵・大豆一俵余、小物成銭三八五文・飛脚代三六二文。寛政五年(一七九三)の上総国村高帳では高一六四石余、家数二〇。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android