富竹陣屋跡(読み)とみたけじんやあと

日本歴史地名大系 「富竹陣屋跡」の解説

富竹陣屋跡
とみたけじんやあと

[現在地名]長野市大字富竹 中屋敷

村のほぼ中央にある。東西二五間、南北二六間三尺六寸、面積二段二畝五歩。

寛政四年(一七九二)七月、石見国浜田城主松平周防守の加増領地となり、陣屋を設け、金箱かねばこ村を併せて管理し、同七年長沼上ながぬまかん町・同栗田くりた町をも支配したが、同八年に至って幕府領となるに及んで、陣屋は廃された(長野県町村誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報