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古代では宮中を警固(けいご)する衛士(えじ)の詰所、中世では合戦の際に軍兵の駐屯する軍営を称した。江戸時代になると、無城の大名や交替寄合(こうたいよりあい)の館舎をよぶようになり、一般には代官や旗本の支配地における役宅や屋敷、用水方の御普請(ごふしん)詰所をさすようになった。そのため軍事上よりも、民政の拠点を意味するようになった。陣屋は城に準ずるもので、土塁や堀はあるが、高い石垣はない。陣屋内には居館、役所、家臣の役宅や土蔵、調練場などが配置されている。代官陣屋は幕府の地方行政の拠点であり、代官の官舎の本陣、公用を執務する役所、米蔵、運上蔵、手付(てづき)や手代(てだい)の官舎である小屋や長屋、牢屋(ろうや)を総称する。普通は白壁の高塀、やぶ、溝または空堀で境界をつくっている。陣屋の建物は各村の負担や郡中割によって新築・修復されたが、陣屋が廃止されると、敷地とともに農民に払い下げている。
[村上 直]
江戸時代,城郭を構えない無城の小大名や旗本などの領地内の居館・役所。郡代・代官など地方を管轄する役人の役所をさすこともある。構造は軍事的要素がなく,役所としての機能のみのものから,堀を巡らせ櫓(やぐら)をあげた城郭とかわらないものまで多様。小大名の陣屋には城とよばれるものもある。幕府代官の陣屋には飛騨国の高山陣屋や,但馬国の生野銀山管理の陣屋などがあった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…幕府代官は上方代官・関東代官の呼称によって幕府領を管轄したが,1642年(寛永19)勘定頭が制度化すると勘定頭のもとに統一されることになった。初期の代官(以後,郡代を含める)は70~80名もしくはそれ以上に及び,徳川譜代,武田・今川・後北条旧臣の地方巧者(じかたこうしや)を中心に任ぜられ,支配地に陣屋を設けて周辺諸地域の民政が行われた。その主要任務は,年貢の収納を確実にしていくため小農民を自立させることや農業経営をはかることであった。…
…一つは無城であったが特別の恩典を受けて昇格した場合,一つはもと城郭のあった所に住んでいる場合,もう一つは幕府老中に就任するとき無城では資格がないので昇格させた場合である。 (5)無城とは城郭に住まず,領内の政治をとりかつ住居となる陣屋を持つ大名をいう。
[官位]
大名が幕府より叙任(正式には天皇が叙任するが,江戸時代は幕府が叙任し,それを天皇に上奏して幕府の叙任をそのまま認めさせ,天皇より辞令を大名に発給する)される場合,4代将軍家綱のころから各家とも極位極官が決まってくる。…
…遠国奉行は老中支配で,上層の旗本が任命され,二人役(江戸と現地の交替制)で,配下に与力・同心などの地役人(じやくにん)をもち,代官は勘定奉行の支配で,下層の旗本が任命された。江戸の役宅と任地の陣屋とを往復し,配下には数人の手付(てつき)・手代(てだい)をもったが,いずれも独自の軍事力をもたないから,領内の百姓一揆によって陣屋が襲われるなど緊急の場合には近隣の藩から武力の援助を仰がねばならなかった。天領の年貢米の多くは,村から直接河川もしくは海上を舟運で江戸の御蔵(おくら)へ回送され,幕府財政の収入となり,残りは大坂・二条・駿府城などの籾蔵(もみぐら)に回送・貯蔵されて不時の凶荒に備えられた。…
※「陣屋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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