富竹村(読み)とみたけむら

日本歴史地名大系 「富竹村」の解説

富竹村
とみたけむら

[現在地名]甲府市富竹一―四丁目・徳行とくぎよう一丁目・同五丁目・貢川くがわ一丁目、中巨摩郡竜王りゆうおう富竹新田とみたけしんでん

上石田かみいしだ村の西にあり、北を貢川がほぼ東流する。天正一〇年(一五八二)六月一七日付窪田助之丞正勝宛の徳川家印判状写(御庫本古文書纂)に「飛竹之河原間」とみえ、本領である同所三貫文などが安堵されている。同所は同年一二月九日再び助之丞に安堵された(「徳川家印判状写」同書)。なお「一蓮寺過去帳」には永享九年(一四三七)頃と推定される四月七日没の為一房に「飛竹」の注記がある。

江戸時代には北を甲州道中が東西五町三間にわたって通過(宿村大概帳)、道沿いに一町ほど家並がある部分が枝郷の三軒屋さんげんやで東は上石田村宿石田しゆくいしだに続く(甲斐国志)


富竹村
とみたけむら

[現在地名]長野市大字富竹

吉田よしだ村の東方、あさ川の南にある。東は村山むらやま村・長沼上ながぬまかん町と境し、西は稲積いなづみ村と、南は北堀きたほり村、北は金箱かねばこ村と境し、村の北寄りを浅川が東北に流れる。

嘉暦四年(一三二九)の諏訪社上社の五月会・御射山みさやまの頭役に五番五月会分として「右頭、東条庄内、和田郷和田三河入道、付石渡戸・三和条・富武地頭等」とみえる。中世以来の郷村であった。諏訪御符礼之古書の応仁元年(一四六七)に、明年の五月会頭役に「富武郷 小田切安芸守高遠持候」とみえ、小田切氏が知行した時もあった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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