富高庄(読み)とみたかのしよう

日本歴史地名大系 「富高庄」の解説

富高庄
とみたかのしよう

富高郷とも称され、「とたか」とよばれていた可能性が高い。遺称地の富高一帯に比定される。豊前宇佐宮神宮寺の弥勒寺領。平安時代末期と推定される弥勒寺喜多院所領注進(石清水文書)に日向国「富高庄 二十丁」とみえる。弥勒寺喜多きた院は摂関家ゆかりの院家で、同寺領のほとんどがこの院領となっていた。建久図田帳には弥勒寺領として「富高三十丁」とみえ、領家は山城石清水いわしみず八幡宮別当、地頭は土持信綱(宣綱)であった。弥勒寺は一二世紀前半には石清水八幡宮別当支配に置かれ、所領もその所管になっていた。石清水八幡宮別当家の祐清(善法寺家)が弥勒寺と喜多院の検校職を保持するようになって以降、祐清系統の家領化し、承久二年(一二二〇)一二月、祐清は子息棟清母の檀殿女房に塩見しおみ庄と合せた年貢、絹一〇疋・別進布五段を譲っている(「検校祐清譲状」石清水文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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