寿勝寺跡(読み)じゆしようじあと

日本歴史地名大系 「寿勝寺跡」の解説

寿勝寺跡
じゆしようじあと

[現在地名]宇土市花園町 佐野

花園はなぞの町の集落東方にあり、現在小堂に鎌倉時代後期の木造薬師如来坐像および永正一一年(一五一四)在銘の木造東明慧日像などが安置されている。「肥後国寿勝寺誌」によると、古くは佐野さの寺と称する天台寺院であった。渡来僧東明慧日によって禅宗に改められ、元亨元年(一三二一)北条随時は佐野寺に免田一一町を寄進し(同年二月二日「北条随時寄進状」肥後国寿勝寺誌)、次いで青原山寿勝寺と改称したという。その後肥後国の安国寺とされ(正平一一年六月日「恵良惟澄申状案」阿蘇家文書)、貞和二年(一三四六)高師直は北朝方の合志能登守某に奉書を下し、詫磨別当太郎とともに安国寺に対する国人の乱狼を止め、寺領の所務を保護し、寺塔造営の成否を注進するように命じている(同年九月二〇日「高師直奉書」肥後国寿勝寺誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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