日本歴史地名大系 「佐野村」の解説
佐野村
さのむら
- 大阪府:泉佐野市
- 佐野村
現泉佐野市の北西端に位置し、北は大阪湾に面する大村。村の南東部を紀州街道が通る。「後鳥羽院熊野御幸記」建仁元年(一二〇一)一〇月七日条に「サ野王子」がみえ、王子跡は不明だが、現
佐野村
さのむら
佐野村
さのむら
佐野村
さのむら
- 山口県:防府市
- 佐野村
山陽道は古く植松村の植松八幡上で佐波川を渡ると
佐野村の名は慶長期(一五九六―一六一五)の検地帳にはみえず、寛永三年(一六二六)の熊野帳に総高五一九石一斗一升五合、右田毛利家の給領と記される。
佐野村
さのむら
佐野村
さのむら
佐野村
さのむら
佐野村
さのむら
- 和歌山県:新宮市
- 佐野村
と詠まれ、佐野川か荒木川に渡り場があったと考えられる。中世は佐野庄の地で、海浜を熊野街道大辺路が通り、佐野王子が祀られていた。
佐野村
さのむら
佐野村
さのむら
佐野村
さのむら
佐野村
さのむら
- 岩手県:水沢市
- 佐野村
佐野村
さのむら
- 兵庫県:豊岡市
- 佐野村
佐野村
さのむら
佐野村
さのむら
佐野村
さのむら
佐野村
さのむら
佐野村
さのむら
佐野村
さのむら
佐野村
さのむら
佐野村
さのむら
- 千葉県:鴨川市
- 佐野村
佐野村
さのむら
佐野村
さのむら
佐野村
さのむら
佐野村
さのむら
久美浜街道に沿って谷の北側山麓に集落をつくる。西は
「丹哥府志」に「佐野村、古名井地、佐野備前守落城後佐野村といふ」と記され、現在も
慶長検地郷村帳に高八七二・三三石「佐野庄」とみえるが、延宝三年郷村帳では地内であった
佐野村
さのむら
佐野村
さのむら
佐野村
さのむら
浪岡川の下流左岸に位置し、北は
佐野村は天正六年(一五七八)の浪岡城落城の時、小荒木村、
佐野村
さのむら
佐野村
さのむら
佐野村
さのむら
佐野村
さのむら
佐野村
さやむら
佐野村
さのむら
佐野村
さのむら
佐野村
さのむら
佐野村
さのむら
- 愛知県:一宮市
- 佐野村
佐野村
さのむら
佐野村
さのむら
- 石川県:七尾市
- 佐野村
佐野村
さのむら
佐野村
さのむら
- 神奈川県:横須賀市
- 佐野村
横須賀村南方の内陸に位置し、北は
佐野村
さのむら
佐野村
さのむら
南田島村の西方にある。「肥集録」には南田島村の小村と記されている。観応三年(一三五二)二月書写の天満宮安楽寺領目録(太宰府神社文書)に「佐野庄」とみえ、太宰府天満宮安楽寺領で田租のみを負担する半不輸の荘園であったが、当時菊池武光ら肥後の南朝方勢力に押領されていたことが知られる。寛永一〇年(一六三三)の人畜改帳では上生組に属し、戸数三・家数一〇、人数一五(うち庄屋一・頭百姓一・名子二・下人二)、牛馬四。「国誌」には「南田島村千二百石ノ内当村高百九十八石余」とあるが、天保期(一八三〇―四四)以降の村柄を示す明治三年(一八七〇)の竹迫手永手鑑では南田島村のうち佐野方として戸口などが記されている。
佐野村
さのむら
佐野村
さのむら
- 千葉県:木更津市
- 佐野村
佐野村
さのむら
- 熊本県:宇土市
- 佐野村
東は
佐野村
さのむら
- 千葉県:勝浦市
- 佐野村
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報