栃木県南西部の市。2005年2月旧佐野市と葛生(くずう),田沼(たぬま)の2町が合体して成立した。人口12万1249(2010)。
佐野市東部の旧町,旧安蘇(あそ)郡所属。栃木市の西に接する。人口1万2675(2000)。足尾山地南東麓の山間を占め,渡良瀬川支流の秋山川が南東流する。中心集落の葛生は秋山川の谷口集落で,東武佐野線の終点である。埋蔵量15億tと推定される石灰岩層が広く分布し,江戸時代から石灰焼成業が行われ,渡良瀬川の舟運で江戸に運ばれた。1938年には富国セメント(現,住友大阪セメント)が設立され,43年から耐火炉材用のドロマイト煉瓦が製造された。現在もセメント,ドロマイト製品,砕石など窯業,土石製品製造業が産業の中心で,採掘地は市街地から順次奥に移動している。1950年,市街地付近の石灰岩層から更新世のものと推定される人骨化石が発見され,葛生人と命名された。東武佐野線が通じる。
執筆者:千葉 立也
佐野市南部の旧市。渡良瀬川を境に群馬県館林市と接する。1943年市制。人口8万3414(2000)。市域は足尾山地南縁の台地と渡良瀬川の支流の秋山川,旗川の沖積地からなり,東部には《万葉集》に〈下つ毛の美可母(みかも)の山〉と歌われた三毳(みかも)山(223m)がある。鎌倉時代に佐野氏が北部の唐沢山城を本拠にこの地を支配していたが,1602年(慶長7)徳川氏の命によって,城を春日岡(かすがおか)(現,城山公園)に移した。近世には,秋山川の谷口集落,市場町,機業地として,さらに天明(てんみよう),犬伏(いぬぶし)が日光例幣使街道の宿駅として栄えた。古くから,天明(てんみよう)釜の産地として知られるほか,掛軸,羽子板,人形,こいのぼりなどの特産がある。両毛機業圏の一環として,綿縮(めんちぢみ)や織物業が中心になってきたが,第2次大戦後は縫製業の発展,さらに犬伏地区の工業団地造成によって,輸送用機器,金属・機械工業の誘致も進んだ。JR両毛線,東武佐野線,国道50号線が通じ,東北自動車道佐野藤岡インターチェンジがある。唐沢山城跡のある唐沢山は県立自然公園に指定されており,上羽田町の竜江院にはオランダ船リーフデ号船首の木造エラスムス立像,小中には田中正造邸が残る。
執筆者:村上 雅康
保元の乱(1156)の結果,藤原頼長から没収して後白河天皇の後院領とした所領の中に〈下野国一処 佐野荘〉とある。当荘は家基(姓不詳)によって頼長に寄進されたもので,本家頼長,領家妙音院,預所基家であったが,保元の乱によって頼長より後白河天皇へ移り,その後,西園寺公経へ返預された。鎌倉時代以降佐野氏の所領で,佐野氏は唐沢山城に拠り,南北朝内乱期には足利尊氏方に属し,1335年(建武2)荘内に乱入した阿曾沼朝綱を佐野河原に撃退するなど,下野,上野の所々で戦っている。関ヶ原の戦には徳川方につき所領を安堵され(佐野藩3万8000石),城を春日岡に移す。1614年(慶長19)除封廃藩。84年(貞享1)堀田正高が入封し(1万石),98年(元禄11)移封廃藩。1826年(文政9)堀田正敦が再封された(1万6000石)。
執筆者:伊東 和彦
佐野市中北西部の旧町。旧安蘇郡所属。人口2万9582(2000)。町域の大半は足尾山地の山間を占め,南は旧佐野市,足利市に接する。中心集落の田沼は渡良瀬川の支流旗川,秋山川がつくる複合扇状地出流原(いずるはら)の扇頂に位置する谷口集落で,中世には佐野荘の中心であった。江戸時代から地場産業として漆器や粘土瓦の製造が行われてきたが,明治40年代からは足利・佐野機業の賃機が広まった。現在は婦人服,子ども服などの縫製業が盛んで,機械・金属工業も伸びている。山間では用材生産のほか,シイタケ,コンニャクの栽培が行われ,製材工場が多い。県立自然公園に指定されている南部の唐沢山には,藤原秀郷の居城と伝え中世に佐野氏が拠った唐沢山城跡がある。東武佐野線,国道293号線が通じ,北関東自動車道のインターチェンジがある。
執筆者:千葉 立也
大阪府泉佐野市南西部の旧名。和泉国日根郡に属し,平安時代末期に佐野荘が立荘され,近世には佐野村となった。海浜の佐野松原は,平安時代以来の歌枕として聞こえ,船がかりの港もあった。内陸部は堺から紀州へ通ずる熊野街道沿いの要地で,市場として開け,熊野九十九王子の一つ佐野王子の存在も知られる。室町時代中期にはすでに定期市が立てられ,定住者も増加して近在の大郷として発展した。戦国・安土桃山時代には紀州根来衆の勢力圏で,石山・根来合戦では戦火で疲弊したが,のち豊臣氏の直轄地となり,文禄・慶長の役には佐野漁民の有する船舶と技術が,水軍として大いに利用された。1619年(元和5)から岸和田藩領となり,村高は江戸時代を通じて2500石前後。泉南の在郷町として後背地の商品経済を基盤に発展し,1713年(正徳3)の戸数1665,人口8597。唐金,食(めし)などの廻船問屋は豪商として知られた。1948年泉佐野市として市制施行。
執筆者:藤本 篤
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
栃木県南西部、足利(あしかが)市と接する市。1943年(昭和18)佐野町を中心に堀米(ほりごめ)、犬伏(いぬぶし)の2町、植野、界(さかい)、旗川(はたがわ)の3村が合併して市制施行。1955年(昭和30)吾妻(あづま)村と赤見町を編入。2005年(平成17)安蘇(あそ)郡田沼町、葛生町(くずうまち)と合併。北部は足尾(あしお)山地の山岳・森林地帯で、南部は秋山川、旗川の沖積地や渡良瀬(わたらせ)川沿岸の平野が広がる。1888年(明治21)国鉄(現、JR)両毛(りょうもう)線、1914年(大正3)に東武鉄道佐野線(館林(たてばやし)―葛生間)が開通。市街の北方を国道293号、南方を国道50号が東西に走る。東北自動車道の佐野藤岡インターチェンジ(一部は栃木市)と北関東自動車道の佐野田沼インターチェンジがあり、自動車交通の要地でもある。市街地は、佐野藩(佐野氏、堀田氏)の城下町、市場町、日光例幣使(れいへいし)街道の宿駅などの機能を母体に発展した。中世に起源のある天明鋳物(てんみょういもの)(茶の湯釜、梵鐘(ぼんしょう)、仏像など)は、近世には釜(かま)を中心にした鋳物に変わり、現在は美術工芸品や産業機械部品などに伝統技術を生かしている。古くから佐野縮(ちぢみ)の産地として知られ、婦人、子供服の縫製業と各種の織物業が盛んで両毛機業圏の一環をなしている。1965年から犬伏地区に佐野工業団地が造成され、金属、機械、電気機械、化学工業など30工場以上が進出している。際物(きわもの)製造も盛んで、正月用・節供用掛軸、羽子板、鯉幟(こいのぼり)などが生産されている。また、田沼は一瓶塚稲荷(いっぺいづかいなり)の門前町として知られ、旧葛生町のドロマイト生産は全国一となっている。
市の南東部、栃木市との境には、『万葉集』に歌われた三毳山(みかもやま)があり、近くにカタクリの群生地もみられる。その北方に位置する唐沢(からさわ)山は県立自然公園になっている。そのほか、「万葉の里・城山記念館」のある城山公園、名水百選に選ばれた出流原(いずるはら)弁天池湧水、関東三薬師の一つ佐野厄除け大師(さのやくよけだいし)、田中正造旧宅などがある。面積356.04平方キロメートル、人口11万6228(2020)。
[村上雅康]
『『佐野市史』全7巻(1975~1979・佐野市)』▽『『佐野史跡をたずねて』(1977・佐野市)』
和歌山県東部、新宮(しんぐう)市の一地区。熊野灘(くまのなだ)に臨み、三輪崎(みわさき)から南に続く海浜と、ここに注ぐ佐野川流域をいう。国道42号が通り、JR紀勢本線(きのくに線)紀伊佐野駅がある。『日本書紀』神武(じんむ)紀に狭野(さの)とあり、『紀伊続風土記(ふどき)』は、狭い野の意味が地名の由来としている。『万葉集』巻3の「苦しくも降りくる雨か神(みわ)の埼狭野の渡りに家もあらなくに」が知られている。海岸を熊野参詣道(さんけいみち)大辺路(おおへち)が通り、佐野王子跡がある。中世は佐野荘(しょう)の地。明治以後三輪崎町佐野となり、1933年(昭和8)三輪崎町は新宮町と合併、市制を施行して新宮市となった。
[小池洋一]
群馬県高崎市(たかさきし)南東部の地区。旧佐野村。JR高崎駅の南東約2キロメートル、いまの烏(からす)川よりすこし離れた所に高さ約1.5メートルの「船木の観音の碑」がある。表面に『万葉集』の「上野(かみつけの)佐野の舟橋(ふなはし)取り放し親はさくれど我(わ)はさかるがへ」の歌が刻され、佐野の舟橋の遺跡といわれる。これに烏川を挟んでの恋愛伝説もあり、また謡曲『鉢木』の佐野の渡(わたし)も舟橋で、付近に最明寺入道(さいみょうじにゅうどう)(北条)時頼(ときより)ゆかりの佐野源左衛門(げんざえもん)屋敷の遺跡とされる常世神社(つねよじんじゃ)がある。
[村木定雄]
現三島市の北部、現裾野市との境にある佐野一帯に比定される。駿河国佐野庄の一部か。建武二年(一三三五)一二月一一日、建武政権に反旗を翻した足利尊氏・直義と建武政権方の新田義貞・脇屋義助らは
天武天皇一〇年(六八一)建立の
上佐野に
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
…1889年町制。1943年佐野町等と合併し,佐野市となった。【河内 八郎】。…
…下野国の中・近世の宿駅。現栃木県佐野市街の南西部分。天命とも書いた。…
※「佐野」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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