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禅宗 ぜんしゅう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

禅宗
ぜんしゅう

自己の仏性内観することを目的とする仏教一派仏心宗ともいう。特に坐禅を重んじることに特徴がある。インドの菩提達磨によって中国に伝えられたので,達磨を宗祖とする。第5祖弘忍の門下に慧能神秀が出て,2派に分れ,禅宗を盛んにした。慧能の系統を南宗といい,神秀の系統を北宗という。南宗はさらに2派に分れ,青原 (せいげん) が曹洞宗を興し,南嶽は臨済宗を興した。日本へは鎌倉時代にこの2派が道元栄西によって伝えられ,現在にいたっている。江戸時代に明の隠元が日本に渡って黄檗宗を伝えた。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

禅宗

仏教の一派。6世紀初頭にインドから中国に渡り、禅の教えを伝えた達磨を初祖とする。日本には鎌倉時代に本格的な導入が始まる。救仁郷研究員によれば、経典を重視せず、座禅や師匠との問答などの修行を通し、自らの仏性を自覚することを目指す。

(2016-10-25 朝日新聞 夕刊 文化芸能)

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デジタル大辞泉の解説

ぜん‐しゅう【禅宗】

仏教の一派。もっぱら座禅を修行し、内観・自省によって心性本源を悟ろうとする宗門達磨(だるま)が中国に伝え、日本には鎌倉初期に栄西臨済禅を、次いで道元曹洞禅を、それぞれ入宋ののち伝えて盛んになった。江戸時代に明の隠元が来朝して黄檗(おうばく)の一派を開き、現在この三派が並び行われている。以心伝心教外(きょうげ)別伝を重んじ、仏の心をただちに人々の心に伝えるのを旨とするので、仏心宗ともいう。

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百科事典マイペディアの解説

禅宗【ぜんしゅう】

を根本とする仏教の一宗派。座禅・公案を重んじ,内観・内省によって,自己の内にある仏性をきわめんとする。開祖は達磨(だるま)とされ,6世紀初頭,インドから中国に伝えられた。
→関連項目開山・開基鎌倉時代唐物三門禅宗美術托鉢不立文字瞑想系身体技法

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世界大百科事典 第2版の解説

ぜんしゅう【禅宗】

中国と日本の仏教宗派の一つ。日本では,鎌倉時代より江戸時代の初期にかけて,中国より伝えられる24流48伝がそのすべてで,今では臨済曹洞黄檗の3派に大別される。 禅は,インドに起き,禅宗は,中国で始まる。座禅を意味するインド仏教の禅に対し,禅宗は自派の起源を次のように主張する。仏陀が晩年,霊鷲山で説法していると,梵天(ヒンドゥー教の神)が一枝の花を献ずる。仏陀は,これを大衆に示す。大衆には,何のことか判らぬ。

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大辞林 第三版の解説

ぜんしゅう【禅宗】

大乗仏教の宗派の一。日本では臨済宗・曹洞宗・黄檗宗の総称。その先行形態はインドに見られたが、六世紀前半達磨だるまが中国へ伝えてから発達した。七世紀には六祖慧能の南宗と神秀の北宗とに分かれ、主流となった前者から曹洞宗と臨済宗が派生した。日本へは鎌倉時代の初めに栄西が臨済宗を、道元が曹洞宗をそれぞれ伝え、江戸時代には隠元が黄檗宗を伝えた。座禅を中心においた修行によって心の本性が明らかにされ悟りが得られるとし、不立文字ふりゆうもんじ・教外別伝きようげべつでん・直指人心じきしにんしん・見性成仏けんしようじようぶつを唱える。ただし、道元に始まる日本の曹洞宗は只管打坐しかんたざを説く。仏心宗。禅門。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

禅宗
ぜんしゅう

中国と日本の、仏教の一派。6世紀の初め、インド僧の達磨(だるま)(ボーディダルマ)が開宗、唐より宋(そう)初にかけて、中国文明の再編とともに、民族自らの宗教として独自の教義と歴史をつくり、鎌倉時代以後、日本にきて結実する。経論の学問によらず、坐禅(ざぜん)と問答によって直接に仏陀(ぶっだ)の心に目覚める、見性悟道を説く。近世中国の仏教はみな禅宗を名のるが、日本では他の諸宗に伍(ご)して、曹洞(そうとう)、臨済(りんざい)、黄檗(おうばく)の3派を数える。[柳田聖山]

中国

禅宗では、仏陀が霊鷲山(りょうじゅせん)で説法していると、梵天(ぼんてん)が金婆羅華(こんぱらげ)を献じ、仏陀は黙って花を大衆に示すと、摩訶迦葉(まかかしょう)がひとり破顔微笑(みしょう)したので、仏陀は迦葉に正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)を伝えた、という説があり、それが立宗の基となっている。正法眼蔵とは、仏教のエッセンスを意味する。迦葉より二十八伝して、達磨が中国にきて初祖となり、六伝して慧能(えのう)(638―713)に至る。慧能は新州(広東(カントン)省新興市)の生まれで、生涯ほとんど嶺南(れいなん)を出ず、眼(め)に一丁字(いっちょうじ)もなかったが、労働と参禅によって正法眼蔵を得る。そのことばを集める『六祖壇経(ろくそだんきょう)』によると、外ではどんな環境にいても、心のおこらぬのが坐(ざ)、内では自性に目覚めて、自性の乱れぬのが禅であるという。禅宗は、そうした日常のくふうと、創意を求めるのである。従来、華北の首都を中心に、上層階級の帰依(きえ)によって、高度の学問体系を誇った各派が、唐末五代の社会変動によって一時に衰滅するのと反対に、禅宗は全国各地に支持者を得、五家七宗の盛期を迎える。すなわち、主として湖南に拠(よ)山霊祐(いさんれいゆう)(771―853)と、その弟子仰山慧寂(きょうざんえじゃく)(807―883)の仰宗(いぎょうしゅう)、江西に拠る洞山良价(とうざんりょうかい)(807―869)と、その弟子曹山本寂(そうざんほんじゃく)(840―901)の曹洞宗、河北の鎮州に拠る臨済義玄(りんざいぎげん)(?―866)の臨済宗、嶺南に拠る雲門文偃(うんもんぶんえん)(864―949)の雲門宗、および金陵に拠る法眼文益(ほうげんぶんえき)(885―958)の法眼宗であり、さらに臨済宗8代の黄龍慧南(おうりゅうえなん)(1002―1069)と、楊岐方会(ようぎほうえ)(992―1049)の2人が、それぞれ江南に一派を開くのをあわせて、五家七宗の禅宗が、近世中国仏教を代表するのである。[柳田聖山]

日本

日本の禅宗は、建仁寺の栄西(えいさい)(1141―1215)が黄龍宗を伝え、永平寺の道元(1200―1254)が曹洞宗を伝えるのに始まり、24流を数える宋朝禅が日本で大成されることとなる。とりわけ、楊岐宗の日本伝来は、中国の近世文明を伴うので、新儒教の朱子学をはじめ、文学や美術、建築、日常生活の創意にわたって、日本中世文化の発展に作用する。たとえば、江戸時代の初め、福州黄檗山(おうばくさん)の隠元隆(いんげんりゅうき)(1592―1673)が諸弟子とともに来朝し、将軍徳川家の帰依によって、京都に黄檗山万福寺を開く。隠元の禅は楊岐宗に属するが、中世日本の楊岐宗と異なって、近世中国の文人趣味や、医学、社会福祉など、多方面の新文明を伴って、日本仏教各派の再編を促すのであり、盤珪永琢(ばんけいようたく)(1622―1693)、白隠慧鶴(はくいんえかく)(1685―1768)、卍山道白(まんざんどうはく)(1635―1714)、面山瑞方(めんざんずいほう)(1683―1769)など、臨済・曹洞2派の復古と改革運動が、これに続いて起こる。
 禅宗では、真理はわれわれの言語、文字による表現を超えているとし(不立文字(ふりゅうもんじ))、師から弟子へ直接に心で心を伝える(以心伝心)といわれて、その系譜が重んぜられる(師資相承(ししそうじょう))。[柳田聖山]
『『講座 禅』全8巻(1967~1969・筑摩書房) ▽鈴木大拙著、北川桃雄訳『禅と日本文化』(岩波新書)』

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世界大百科事典内の禅宗の言及

【印可】より

…日本の芸能では,免許証や許状を出す意となる。《維摩経》弟子品に,維摩が舎利弗(しやりほつ)の座禅を叱り,正しい座禅の心得を説いて,このようにすれば仏は印可される,といっているのが根拠であり,中国の禅宗では,そうした印可の印として,衣鉢や禅板,机案,払子(ほつす)などを与えることとなり,さらにその事由を記す印可状や,師の肖像(頂相(ちんそう))に賛をつけて与える風習が生まれて,日本に多くの遺品を伝える。《日葡辞書》にも,インカヲダス,トルなどの例がある。…

【禅】より

…とりわけ,具体的な座禅の仕方を説く坐禅儀は,天台のそれを最初とする。 中国の禅宗は,智顗の活動とほぼ同じころ,西域より華北に来たインド僧達磨を初祖とし,その6代を名のる曹渓慧能(えのう)に大成される。禅宗の禅は,座禅や止観のことではなくて,人の心そのものとなる。…

【仏教】より

元暁は和諍(わじよう)思想を説き,義湘は華厳十刹を創建した。この華厳をはじめ律(慈蔵),涅槃,法性,法相の五教のほか浄土教や密教も行われたが,8世紀以後になると,中国の禅宗が新羅人によって伝えられ禅門九山が成立し,高麗時代に盛行するに至った。 高麗の太祖王建は崇仏の念あつく,護国鎮護の法として仏教を保護し,多くの寺院を建立し,無遮大会や八関会(はちかんえ),燃灯会などを行ったため,仏教は社会全体に深く浸透した。…

【留学】より

…このように,彼らは最初は天台宗や律宗など自分たちの宗旨を学んでくるのが第一の目的であった。ところが,大陸仏教界ではすでに禅宗が主流を占めていたため,やがて禅宗各派を学んでくるものが多くなっていった。 そうしたなかで画期的な役割を果たしたのは,再度の留学によって,1191年(建久2)に臨済宗黄竜(おうりよう)派の禅を伝えた栄西である。…

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