尊朝法親王(そんちょうほっしんのう)(読み)そんちょうほっしんのう

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

尊朝法親王(そんちょうほっしんのう)
そんちょうほっしんのう
(1552―1597)

伏見(ふしみ)宮邦輔(くにすけ)親王の子。青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)。四天王寺(してんうじ)別当。1571年(元亀2)9月の織田信長による叡山(えいざん)焼討ちののち、167代の天台座主(てんだいざす)を務める(1585~97)。覚恕准后(かくじょじゅごう)・亮信僧正(りょうしんそうじょう)の弟子。書をよくし、御家(おいえ)流の一派である尊朝流を創始。懐紙や消息など整った温雅な書風で知られている。著書に『手習十三ヶ条記』『墨池掌譜(ぼくちしょうふ)』『竜池鳳翰(りゅうちほうかん)』『臨池法帖(りんちほうじょう)』『からさきの松の記』ほか多数がある。

[田中博美]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例